| atsushi's profileえるだま・・・世界の国から(MSN版)BlogLists | Help |
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July 25 パサルガダエ(5)レリーフ謁見の間の建物にも楔形文字で「私がキュロス、アケメネス朝の王である」と刻まれています。レリーフには人間の足と魚の模様の装った足と牛の足が彫られていました。陸と海とを支配する慈悲深い王であるということを表わしていると考えられています。
そしてこの近くに、ゲイト・ハウスと呼ばれる場所に4っの翼を持つ天使のようなレリーフがありました。残念ながらその意味はまったく不明です。ゾロアスター教の神アフラマツダにも翼があるから、その原型でしょうか。頭に奇妙なものを載せていますね、いったい何を意味しているのでしょうか。 (足のレリーフ)
(天使のレリーフ)
![]() July 24 パサルガダエ(4)謁見の間ペルセポリスにもあった謁見の間ですが、こちらのものは少し規模が小さくて約2,500平方メートルの広さだそうです。13mの高さの石柱8本で支えられたこの建物は立派なものだったことでしょう。敷地内にはこれより低い多数の石柱の跡が残っています。
(どうやって使っていたのでしょう。) ![]() July 23 パサルガダエ(3)王宮次に訪れたのが王宮跡とされている場所です。現場にはペルセポリスで見たような石柱の跡だけが残っていました。石柱の仕上げはペルセポリスのものと似ているように思われました。この時代、いったいどうやって削って磨き上げたのでしょうか。
約3200平方メートルの敷地ですから、1000坪という大きなものです。宮殿に入るゲートに「私がアケメネス朝の王、キュロスである」と楔形文字で彫られています。もちろん楔形文字なんて私には読めませんから、現場にあった説明文からです。 ともあれ、ここは居住用の宮殿として使われていたという説が有力のようです。
「私がアケメネス朝の王、キュロスである」 ![]() July 22 パサルガダエ(2)ソロモンの牢獄14mもの高さのある石造りの建築物ですが、ソロモンの牢獄と呼ばれるゾロアスター教の神殿があります。この建物については様々な説があるようで、キュロス大王の息子のカンビュセスの墓だという説、拝火教の寺院という説、宝物館という説などなどです。ソロモンの牢獄という名前はイスラム時代に入ってから名付けられたもののようです。
写真で見ても、その用途がよく分かりませんね。昔は直方体の建物だったようで、29の階段で上まで上がって行くことができたようです。謎だらけの建築物と言えるでしょう。
![]() July 21 パサルガダエ(1)キュロス大王の墓紀元前550年、アケメネス朝ペルシャが成立し、紀元前546年にアケメネス朝が独立したとされています。その時の王、キュロス大王(二世)の在位は紀元前559~530年です。
今回、出張の空き時間を利用して、アケメネス朝の最初の都市を訪問してみました。ペルセポリスからさらに75km程度離れたところにあるため、どのくらいの観光客が訪れるものでしょうか。ちょっと見当がつきません。 シラーズから、ペルセポリスを脇目に、このパサルガダエに向かいましたが、経路は川に沿って上流に向かうものでした。ペルセポリスは後から造られたものですから、その前にあった古代都市に興味があったのです。 私は当時は戦乱が絶えなかったと予想したため、この古代都市は山に囲まれた天然の要塞のような場所ではないかと考えていました。ところが現地に着いてみるとそこは私の予想よりもはるかに広大な盆地のような形状をしていました。 つまり、ここに首都をおいたときには、既にキュロス大王の権威はある程度確立していたものを考えられます。大きな兵隊を進入路に配置できれば広大な土地でも防御できるものでしょう。 キュロス大王の墓の写真ではその大きさがよく分かりませんね。実際問題私は実物より小さいものを想像していました。ピラミッドに比べればはるかに小さなものですが、11mの高さがあり力強く堂々としたものです。 このお墓、キュロス大王のものと分かる以前には、ソロモンの母の墓と呼ばれていたそうです。ソロモンというのは紀元前961~922年頃のイスラエルの王の名前ですが、いったいどういう関係があるのか意味不明です。 この墓にはキュロス大王の金の棺と武器、貴重品があったそうですが、それらはアレキサンダーによって破壊されてしまったと現場の説明文に書いてありました。 私がキュロス大王に興味を持つのは、この集団が今のイラン人のルーツだと考えられるからです。紀元前8,9世紀にはイランの地はメディア王国によって統治されていました。その中のシラーズのあるファールス州に居住していた人たちが、メディア王国を滅ぼし、アケメネス朝という巨大なペルシャ帝国を築き上げたのです。 キュロス大王はまさに傑出した指導者であったようで、彼の在位中にエジプトを除くオリエントを支配するまでに至ったのです。彼が戦術的に有能であったことは疑いはありませんが、その他の分野にも多くの功績を残したことで有名です。 キュロス大王は有能な戦術家であり、高潔な名声を残し、寛大で慈悲深く、征服した土地の人々に圧制を強いたりはしなかったそうです。既存の組織を尊重し、土着の支配者にも敬意を払ったそうです。アケメネス朝はゾロアスター教(拝火教)でしたが、それを強いることもしなかったそうです。 アケメネス朝はアレキサンダーに滅ぼされましたが、アレキサンダーもその政策を模倣したと言われています。世界史上有名なバビロン捕囚という出来事がありますが、バビロニアを攻撃したときに捕囚されていたユダヤ人を解放したことは有名な話です。 キュロス大王の墓のあるパサルガダエは、彼がメディア軍を破った場所ということで、そこに王宮などを建設することにしたそうです。彼の在位中はエクバタナやバビロンを首都にしたとありますから、パサルガダエは子孫に残すための場所として選ばれたものに過ぎないようです。 キュロス大王はその後、東方に遠征し、戦死しました。その遺体がパサルガダエに運ばれ葬られたということです。 (パサルガダエ周辺の地形)
(キョロス大王の墓)
![]() July 12 イランの思い出(30)ペイカンイランの国民車とも言えるペイカン、私の滞在していた頃はタクシーのほとんどがペイカンでした。30年も製造が続けられたまさに大衆車です。私の帰国時には製造中止になりましたが、その人気は高いものでした。人気が高い理由は、安いという一言です。イラン全土のどこでも部品が買えるし、しかも安いのですから売れる訳です。 古い形の車ですが、それほどクラシックカーという雰囲気はありません。もちろん、現在の車としては時代遅れという感じは否めません。サスペンションが板バネですから、乗り心地はまさにトラックです。私は、タクシーで長距離を走る場合、プジョー405のタクシーを捜したものです。短い距離なら耐えられますが、長距離となるとちょっとつらいところです。 長寿のペイカンですが、マイナーチェンジは行われています。よく観察すると、古いペイカンはライトが小さく、三角窓があることが分かります。ペイカンの人気色は白です。これは手放すときに一番高く売れるという理由だそうです。日本でも30年前は白い色が一番多かったことを思い出します。 ペイカンの後継車は、サマンドという車です。あまり高級感はありませんが、走行性能においては不満はありませんでした。私は1年くらいサマンドを使っていました。現在、サマンドのタクシーが増えていて、ペイカンで問題だった大気汚染が少し改善されています。ペイカンの製造中止というニュースが世界に流れたとき、ペイカンという車への関心が高まりましたが、私自身には特別な感慨はありません。 ペイカンは1800ccだと思いますが、新車で70万円くらいで買えます。韓国車のプライドの方が高いですから、ペイカンが売れる訳です。イランでは外国車の輸入は禁止されているので、基本的に車は国内生産です。エンジンなどの主要部品は外国から取り寄せて、組み立てているはずです。 外国車としては、プジョー(フランス)、キアモーター(韓国)が多く、日本車では、日産のパトロールとマキシマ(セフィーロの3リットル版)、マツダとトヨタにも一車種ありました。ベンツやBMWなども見かけますが、これらは外交官が持ち込んだものと思われます。 (ペイカンのタクシー) (ペイカンのピックアップ) ![]() (サマンドのタクシー) (自家用車のサマンド) ![]() July 11 イランの思い出(29)イランの夏イランという国が暑い国だと思っている日本人は多いようです。テヘランの緯度は東京と同じで、標高が1500mもあるという事実を知らないのでしょう。テヘランでは、冬に雪が降ります。植物を見ると東北地方あるいは北海道のような感じです。緯度、標高から考えると当然ですね。 ところが、夏になると最高気温は42度くらいに達します。これは緯度、標高という要素の他に、砂漠気候という事情があります。気温の日較差が大きく、夏は暑いというものです。ただし、乾燥しているので、42度と言ってもそれほど暑いとは感じません。実際、あまり汗をかくということはないのです。 厳密に言えば、汗はかいているけど蒸発してしまうので、汗が見えないというべきでしょう。夏の日中にゴルフをすると水が1リットルあっても足らないくらいです。真夏の日中にゴルフをやっているのは、日本人と韓国人くらいなものですけどね。(苦笑) 日本の夏と同じような気候のタイに行くと感じることですが、気温は低いのに汗をいっぱいかきます。イランから行くとちょっと不思議な感じです。夏に日本に来れば、同じことを感じるに違いありません。イランの快適な気候に慣れてしまった私は、日本の夏が苦手で一時帰国は春と決めていました。 イランの冷房の話は、 「冷房中は窓を開けるべし」 をご覧くださいね。乾燥した国ならではの地球に優しい冷房の仕組みが分かるでしょう。私は冷えすぎの空調が大変苦手なので、イランの空調には助かりました。私がバンコクにいた頃は、会議のときにいつもジャケットを持参していたものです。 夏の暑さ対策としては、冷房ではありませんが、バードギールと呼ばれる昔からの涼風装置があります。詳細はこちらの記事をご覧くださいね。 他にも乾いた気候を利用した面白いものがあります。電気のない時代から使われているもので、夏でも冷たい水が飲めるというものです。こちらも冷房と同じ原理で、陶器の壺に水をいれておくと、陶器自身の持つ微細な穴から水が少しずつ外に出て行く際に気化熱を奪うので、壺の温度を下げるというものです。この原理も日本のような湿度の高い国では利用できないのが残念です。 夏に氷を利用するというのは、日本でも江戸時代以前から冬の氷を保存しておくということがやられていたそうですが、イランでは大きな氷室(ヤフチャール)という施設を作って氷を保存していました。夏に氷を使うというのは昔からやられていたものなんですね。 (冷たい水が飲めます。) ![]() (ヤフチャール) ![]() July 10 イランの思い出(28)世界遺産日本には世界遺産が30以上もあると思いますが、イランには4つしかありません。歴史があって遺跡の多いイランとしては意外な数です。私は、イラン政府が世界遺産の申請をしないからではないかと考えています。イランには2000年以上も昔の遺跡がごろごろありますからねぇ。 イランにある世界遺産は、 ①チョガーザンビルのジグラット(メソポタミア文明のピラミッド)、②ペルセポリス(ペルシャ帝国アケメネス朝の遺跡)、③エスファハン(エマーム広場全体が世界遺産に指定)、④アルゲ・バム(地震で崩壊してしまった遺跡、現在危機遺産として修復中)の4つです。 私がごろごろあると言った遺産には、さらにペルシャ帝国黎明期の遺跡であるパサル・ガダエ、もう一つのペルセポリスがあったシューシ、紀元前からあるバーント・シティ(岩屋遺跡)、現在も使われている岩屋で有名なキャンドヴァン村、拝火教の神殿や、鳥葬の施設のあるヤズド、その他各地にある拝火教に関係した遺跡、カスピ海の湿原地帯、傾斜地に作られた町マースーレ、塩の湖であるウルミエ湖、砂漠の地下にある湖アリサドル、5671mのダマヴァンド山などなど。 これらは申請さえすれば、直ぐに世界遺産に認定されそうなものだと思います。私としては、さらに観光地化されずに手付かずに残っている本当の砂漠も候補に挙げたいくらいです。また砂漠の周辺に配置されたキャラバン・サライ(隊商宿)も世界遺産として保存されるべき対象ではないかと考えています。 比較的新しいところでは、今では博物館として公開されていますが、王宮などの施設も世界遺産に認定されうるものではないでしょうか。そして、化石のような魚が棲息しているカスピ海そのものも世界遺産に相応しいと思います。 世界的な観光地をたくさん持っているイランですが、イラン政府は観光による外貨獲得には熱心でないようにみえます。石油資源に恵まれているからなのでしょうが、もったいないような気がします。イスラム教で国を統治するというイラン政府は、外国人観光客によってイラン人に悪影響が出るということを恐れているのかも知れません。 イランではインターネットに対する規制はあまりありませんから、外の世界はインターネットを通じてみればいいと考えているのでしょうか。もっとも、ポルノっぽいサイトについてはアクセス禁止という措置が講じられています。一時、ブログ全体にアクセス制限がかかるということがありましたが、現在ではそういうことはなくなっています。 (チョガーザンビルのジグラット) ![]() (ペルセポリス) ![]() (エスファハン) ![]() (地震前のアルゲ・バム) ![]() July 09 イランの思い出(27)イランにないものイランで約4年を過ごしましたが、イランにないものについて書いておきましょう。ペルシャ商人の国ですから、腐らないものならまず何でもあります。ないものとなると生鮮食品ということになるでしょうか。生鮮食品以外なら大抵の日本食の食材は買えます。
まずは、日常生活に欠かせない野菜です。市場では、長ネギを見かけたことがありません。太い白いネギはありますが、これは日本の長ネギの代用にはならないでしょう。香りがまったく違います。ワケギのようなものはありますが、こちらも香りは違います。日本で食べられるようなネギが恋しかったです。 山芋、里芋の類も滅多にみることがありませんでした。日本人グループが栽培しているものをいただいたことはありますが、イラン人はまず使わないのだろうと思います。キャベツについてお話したことがありますが、イランのキャベツは硬くて不味いものです。焼そばなどに入れる気がしないような代物なので、私は代わりにレタスを使ったくらいです。 豚肉は、イスラム教では食べてはいけないものなので市場で見かけることはありませんでした。噂では、とある場所で猪の肉を売っているというのを聞いたことがあります。これは日本人や中国人などの特定の相手を対象とした商売のように思えます。イランでも田舎の方では豚肉を食べるというような話を聞いたことはありますが、確証はありません。 魚は基本的に淡水魚ばかりで、魚料理というとほとんどが養殖鱒でした。海の魚を手に入れることは大変難しいです。ホワイトフィッシュやチョウザメなど、カスピ海でとれる魚には美味しいものもありますが、海の魚とは違います。カスピ海周辺では鯉も売っていますが、あまり人気がないようでした。鰻や泥鰌は見たことがありませんが、これは存在しないというよりも市場価値がないのでしょう。 イラン人は海の魚を臭いと言います。これはペルシャ湾から運んで来ても鮮度が落ちてしまうという理由もありますが、イラン人には海の香り、磯の香りというものは悪臭に感じられるもののようです。それでも、ツナの缶詰はイラン人も利用するようで、普通のスーパーにおいてありました。 アイスクリームはもちろんありますが、世界に出回っているブランドものを見かけることはありませんでした。シェフから聞いたのですが、高級住宅地にあるスーパーマーケットでは、お客さんからの引き合いがあるようで、たまに入荷しても店頭に並ぶことはないようです。私はイランの餅のようなアイスクリームは好きではありませんが、日本人の中には好きな人もいるようでした。 煙草は、国産と輸入ものがありますが、アメリカの有名メーカーの煙草は常時ありました。マールボロで140円くらいだったので、私は煙草に関して不自由はありませんでした。ただし、日本製の煙草までは置いてありませんから、愛好者にはお気の毒なことです。 (鱒の養殖場)
![]() July 08 イランの思い出(26)夏の楽しみテヘラン周辺に住むイラン人の夏の楽しみにはどういうものがあるでしょうか。海に行きたくても、カスピ海はあまりきれいではないし、またカスピ海周辺は高温多湿の日本のような気候です。ペルシャ湾まであまりにも遠く、海水浴なんて考える人はほとんどいないでしょう。 テヘランの周辺には大きな川もありません。そういう環境ですから、イラン人たちは涼しい場所を求めます。ということで、テヘランの裏山のようなアルボルズ山脈の中にはいくつもの避暑地があります。中には大変な高級別荘地もあり、テヘランの住宅よりも立派な建物がいくつも見られます。石油成金なのか、ペルシャ絨毯の商人なのでしょうか、とにかく大変なお金持ちだろうと思います。 私は、カウンターパートであり親友のイラン人と小さな別荘に向かいました。この別荘は、知り合いの別荘で、実はその人も一緒に行くはずだったのですが、急用ができてしまい、私たち二人で行くことになりました。車でアルボルズ山脈の中の道を進みますが、テヘランから1時間半もあれば到着できるほど近いところです。 (ラルンの山村) ![]() (周囲には万年雪の残る山があります。) ![]() 標高が3000mを越えると思われる高地ですから、涼しい訳です。目指す山村に着くと食料と飲み物を買い、別荘に向かいました。途中でロバを見かけました。こういう山地では、車よりロバの方が重宝なのでしょう。荷物運びをしているのでしょう、背中に毛の薄いところが見られます。 (目指す別荘) ![]() (非番のロバ) ![]() 別荘では、途中で買った鳥のケバブを焼いて自炊します。もちろん、電気も給水も完備しています。炭に火を点けて焼くだけですから簡単です。私は自分用にウイスキーを持ち込みました。 (鶏のケバブを焼いています。) ![]() こうして私は、大都市テヘランの都会の喧騒を離れ、静かで涼しい山村でイラン人の親友と語り合い、夜長を楽しみました。 July 07 イランの思い出(25)植物の勉強2植物の勉強を急に始めようとしても、独力ではあまりにも困難です。科の分類すら馴染みがないし、花の色で調べても探しているものと同じ花にたどり着くのは運でしかありません。そうなると、身近にいる人で植物に詳しい人が貴重です。ラッキーだったのは、私のカウンターパート(仕事を一緒にする人)が植物に強いということでした。最初の基本的な知識は彼から教えてもらいました。 (カウンターパートと秘書のアツーサ) ![]() 秘書のアツーサは植物の名前が掲載されている辞書を持って通訳に懸命です。カウンターパートはペルシャ語で名前を教えてくれますから、翻訳しないことには分かりません。カウンターパートに本格的な自然公園を案内してもらったこともいい思い出です。 (ラール自然公園にて) ![]() ラール自然公園は、テヘランにある国立公園の比ではありません。標高が3000mもあるためさまざまな高山植物などを楽しむことができます。未だに名前の分からない高山植物の写真がたくさん残ってます。イランで買った巨大な植物図鑑(4万種以上掲載)を見て名前を探したいと思っています。 (ナーセリーにて) ![]() 職場の近くにあるナーセリー(園芸植物の養生所)にも研究者がいたので、花の名前を教えてもらいました。研究者は学名を知っているので助かりました。こちらのナーセリーではテヘラン市内にある公園に園芸植物を供給していました。残念ながら2004年にこの施設は廃止されてしまいました。 (メラット公園にて) ![]() 植物学を専攻した女性にも教えてもらうことができました。写真は、彼女とアツーサとでメラット公園に行ったときのものです。やはり本物を見ながら勉強することが大事ですね。 私の職場は3年後に本庁に移りましたが、本庁には植物学のPhDの女性がいて、イランにある植物ならすべて分かるという方でした。植物の名前が分からないものの写真を見てもらうために、自分のPCを持参して教えてもらいました。 お世話になったので、私は標本植物を分類するためのプログラムを作ってあげました。これまで彼女の部下が手作業で分類していたのですが、プログラムではボタン一つであとは自動で分類をしてしまいます。いくら専門の人でも1000種類もある分類表から探し出すという作業は大変です。少しだけお返しができたことは嬉しかったものです。 July 06 イランの思い出(24)野生動物前回、野生の羊を紹介しましたが、山羊じゃないかと思われている方もいそうなので、少し補足説明をいたしましょう。 まずは、野生の羊と山羊の剥製の写真をご覧ください。 (野生の羊) ![]() (野生の山羊) ![]() 羊と山羊とはよく似ています。一緒に行動しているし、仲がいいのでしょう。羊と山羊の違いを分かりやすく説明すると、 ①羊の方が優しい表情をしている。山羊はちょっと悪人っぽい表情に見えます。・・・これは、羊の鼻の骨の部分が外に膨らんでいるけど、山羊の鼻は膨らんではいません。それで、そう見えるようです。 ②角の形が違います。羊の角の断面は、比較的丸いのですが、山羊の角の断面は角ばっています。一般論なのですが、写真では明瞭ではないですね。(汗) 参考までに、ガゼルと鹿の写真もアップしておきましょう。写真はいずれも、環境局テヘラン州局にある博物館で撮影したものです。 (ガゼル) ![]() (鹿) ![]() 家畜の羊の写真も参考までにアップしておきましょう。 (家畜の羊) ![]() July 05 イランの思い出(23)公園植物に興味を持ち始めたことから、テヘランにある公園に対して関心が高まりました。テヘランの公園には大別すると、市街地のあちこちにある比較的小さな都市公園、そして割り合い大きな敷地面積を持つ公園、それから国立公園があります。 小さな都市公園はテヘラン市が管理をしていて、街角や道路の立体交差の空地を利用して、さまざまな植物の植栽が行われています。樹木は植え替えたりはしませんが、花は季節に応じて植え替えが行われます。私の職場の近くに公園の花を供給するナーセリーがありました。いろいろな園芸種が養生されているので、私には格好の勉強の場所となりました。 テヘランには大きな公園が何か所かあります。中でもメラット公園は約34万平方メートル(100m四方が34個と言ったらいいのかな。)もあります。公園の中には動物園や池があります。古い公園なのでしょう、20m以上もある巨木も見られます。敷地内を全部見ようとしたら1時間あっても足らないと思います。 このような大きな公園は、他にラレー公園、サイー公園、ジャムシディエ公園、ニアバラン公園などがあり、さらに王宮のあるところも公園と言えます。 砂漠の国にある緑の空間ですから、それを楽しむ若いカップルや家族連れなどのイラン人を多く見ることができます。日本のような娯楽のないイランですから、公園で時間を過ごすことはイラン人にとって大きな楽しみなのでしょう。 テヘランの公園にはさらに国立公園というものがあります。国立公園は、あまり手を加えないで管理するというものなので、街中にある公園とは趣が違います。国立公園のレンジャーの主要業務は、そこに成育する野生動物の保護になります。私の職場は、国立公園の近くだったので、野生の羊が群れをなしているのを目撃することもできました。 国立公園には、あまり樹木はありません。牧草のような野生の植物が自生していて、野生の羊はそれを食べています。冬になると草を求めて、オフィスのあるようなところまで群れが降りて来ることがあります。私が最初に見たとき、野生の羊は鹿のように見えました。 (ナーセリー) ![]() (メラット公園) ![]() (野生の羊・・・鹿ではありませんよ。) ![]() (雄の野生の羊・・・博物館の剥製です。) ![]() July 04 イランの思い出(22)カラオケパーティ以外に夜の娯楽のないイランですから、それならばと私は自分でカラオケのシステムを自分で持つことにしました。ステレオ・セットを探しているときに、カラオケのできるDVD,CD,VCDプレーヤーを見たことがあったからです。そうなると後は、カラオケのできるソースの入手が問題になります。
タイにいた頃、よくカラオケを楽しんで私は、行きつけのカラオケ・スナックにソースの入手を頼みました。当時はまだ著作権保護がうるさくなかったので、日本のカラオケのコピーを安く手に入れることができたのです。ただし、メディアはVCDだけなので、今の日本ではVCDプレーヤーなんて探してもないかも知れません。 1枚200円くらいだったと思いますが、約30枚を選んで買ってきました。オリジナルがどこで作られたものかは分かりませんが、実際に歌を歌った歌手が登場しているのには驚きでした。タイでは、その後、著作権保護のために違法コピーが禁止され、今では入手不可能です。オリジナルのソースなんてとても高くて買うことはできませんね。 ともあれ、600曲くらいの日本の曲や有名な外国の曲が集まりました。後は、アパートに日本人仲間を招待してカラオケで楽しむだけです。最初の秘書のナスリンは日本語ができるだけでなく、日本語のカラオケも歌えるのでした。演歌が大好きだと言います。もっとも、漢字のところは耳元で囁いてあげないと読めませんでしたけどね。 こうしてイランでの娯楽をクリエイトしてのでした。カラオケパーティは何回か開催し、ゴルフ仲間や仕事仲間と楽しみましたが、イラン人にはカラオケを楽しむ習慣がないのがちょっと残念でした。一人で練習することもありましたが、これはちょっと寂しいですね。(苦笑) 現在、このカラオケセットは秘書のアツーサに預かってもらっています。VCDなので日本に持ち込んでも使えそうにありませんからね。もしも、またどこかの国に出掛けたら、イランから送ってもらうつもりです。多分、発展途上国でならVCDプレーヤーを買うことができるでしょう。
![]() July 03 イランの思い出(21)植物の勉強実は、私は長い間、植物に無関心だったのです。小さい頃に家の庭にあったものの名前を知っているという程度で、緑は緑、花は花に過ぎませんでした。イランで約1年を過ごした後、荒涼とした大地を見慣れたせいでしょうか、突然植物に興味を覚えたのです。。イランのことですから、目に入ってくる花の種類は、日本に比べるとかなり少ないように思えました。
2003年4月27日のことです。好天に恵まれたので、アパートの庭に出てみたのです。そして、庭で綺麗だけれども変わった形の花をみつけたのです。もちろん、この段階では花の名前にまったく見当がつきませんでした。ネットで調べると、それが西洋苧環(セイヨウオダマキ)であることが分かりましたが、せっかく綺麗に咲いている花があるというのに、その名前すら知らない自分が恥ずかしく思えました。 「よし、イランにある花のすべての名前を調べてやろう」と思い立ちました。このとき、秘書は最後まで働いてくれたアツーサに代わっていました。そして、彼女も植物については私程度の知識しかありませんでした。アツーサは、花によってはペルシャ語で名前を知っているというものもありましたが、私との共通語は英語しかありません。 こうして、私とアツーサの植物の勉強が始まり、植物名を英語で調べることになったのです。英語名が分かれば、それから日本語名、学名ということになります。あちこちで花の名前を尋ねると、学名で答えてくれる植物研究者がいて助かったものです。学名はラテン語ですが、世界共通なので本当に便利なものです。 新しい種類の花をみつけると手当たり次第に写真を撮って名前を調べました。当初はあまりにも知識がないので、なかなか花の名前が分かりませんでした。知人、友人、ネットの仲間たちに花の画像をみてもらって名前を教えてもらったりしていました。自分の力だけでは、いくら時間があっても名前を調べ切ることは難しいものです。 写真に撮っても、名前が分からないまま何か月も眠っている種も珍しくありませんでした。花好きな方々のブログをランダムに当たっても、名前を知りたい花に遭遇することは滅多にありません。大きな植物図鑑を参考にしたくても全部の種類に目を通すことはできません。しかも、電話回線でのアクセスですから、画像を見るためには大変時間が掛かりました。 私が、植物の写真を科別に編集しているのは、実は植物の名前探しのためだったのです。せめて、どの科の植物なのかを特定できれば、対象の植物を発見しやすくなります。同時に、科に共通する特徴なども知識として蓄積されてきます。 イランで3年間、植物の勉強をし、テヘランにある植物のほとんどの名称を覚えることができました。一緒に勉強した秘書のアツーサも私と同程度の知識を蓄積しました。ある日、彼女が、「これまでは、緑は緑としか認識していなかったけれど、外出したときに自然の変化を楽しめるようになりました」と言ったのです。 娯楽の少ないイランでの生活でしたが、植物の勉強をしたお陰で、自然を楽しむという大きな喜びを得ることができました。そして、イランでは見ることのできなかった日本の固有種などに対し、憧れに似た感情を持って接しています。^^ (アパートにあった西洋苧環(セイヨウオダマキ))
![]() July 02 イランの思い出(20)カスピ海地図上で見るとテヘランから近いカスピ海ですが、そこに行くには3000m級のアルボルズ山脈を越えなければなりません。それでも一番近いところまで3時間くらいで行けますから、日帰りは十分可能です。次男坊がイランに来たときをチャンスと思い、カスピ海を見に出掛けました。 この時の様子はこちらのブログにアップしたことがあるので、まずはそちらをご覧いただきたいと思います。 「カスピ海方面(1)イラン」 はこちらです。 「カスピ海方面(2)イラン」 はこちらです。 次男坊と一緒に行ったカスピ海方面ですが、宿泊地はラムサールにしました。実は、ラムサールという名前は、ラムサール条約という名称から知ってはいましたが、それがイランにあるとは夢にも思っていませんでした。ラムサール条約の正式名称は、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」という長い名前です。 ともあれ、有名なラムサールがこのカスピ海周辺地域にあるということを知り、是非とも行ってみたくなったのです。動機は極めてミーハー的なものです。下調べもろくろくしてないし、予定のない旅行だったので自由度は高いのですが、予備勉強をしてないのは怠慢ですね。 ラムサールに着いても特別な変化は感じられませんでしたが、朝には湿地帯のツアーが用意されているとのことでした。この時は時間がなかったので体験できませんでしたが、また行ってみたいところです。 ラムサールホテルという名門ホテルに到着し、予約を入れていないにもかかわらず、宿泊の手配をしました。このホテルには休館と新館があります。日本人の私は、古くても格調高い休館に宿泊してみたくなりました。レセプションで尋ねるとあっさり了承されました。部屋を見せてほしいと言って休館を案内してもらいましたが、宿泊客がゼロのようで、どこでも照明のスイッチを探さなければなりませんでした。 結局、ラムサールホテルのラムサールという名前を付けられた部屋に決めました。一番いい部屋です。それでもベッドが3つあるので、次男、運転手と3人で宿泊するのには決して高い料金ではありません。まるで王族になったような気分でホテル一番のスイートルームを楽しんだのでした。もっとも家具など相当傷んでいていましたけどね。 ![]() July 01 イランの思い出(19)日本食どこの国に住んでいても日本人ですから、日本食はほしいものです。テヘランには、日本食レストランが1、2か所ありますが、禁酒国なのでせっかくの日本食が楽しめないというものです。任期の後半では、お寿司の出前サービスのお店ができましたが、結局一回しか試しませんでした。その理由は、具材に限りがあるので、私がドバイで仕入れて来るものと大して変わらなかったからです。 週末になると、自分で用意する日本食が楽しみでした。醤油、味噌、それから、ドライな食材は手に入りますから、カレーライス、チャーハン、インスタントラーメン、日本蕎麦、うどんなどは贅沢を言わなければ問題はありません。ただし、イランには美味しいキャベツがないので、焼きそばやお好み焼きを作るのには不自由しました。しょうがないから、レタスをキャベツの代わりにしたものです。 ドバイに買出しに出れば、刺身はサクで売ってもらえます。保冷用ボックスに入れてくれるので、そのまま冷凍しておけば3か月くらいは十分持ちます。もっとも、停電が長時間続いたりすると、全部がダメになってしまう恐れがあるので、ヒヤヒヤものでした。幸い、長時間の停電には見舞われなかったので助かりました。 ドバイでは、焼き豚、油揚げ、餃子、かまぼこ、いくら、鯵の開き、鯖なども買えました。ドバイで食材を購入するところは、日本食レストランです。アラブ首長国連邦及び近隣諸国に在住する日本人のためにサービスを始めたのでしょう。これには大変助かりました。 その他、日本人会を通じて日本と同じ性質のお米、山芋、里芋などが手に入ることもありました。日本で味わえる長ネギがないのが辛いところでした。中国製の一見長ネギのようなものは、味が全然違うので代用にはなりません。ワケギみたいなものはイランにもありますが、香りが全然違いました。これはないよりマシというものでした。 単身赴任ですから、一回カレーを作ると2,3日食べ続けることになります。冷凍保存してもいいのですが、いい入れ物がないのでほとんどやりませんでした。テヘランで手に入る魚と言えば、養殖鱒くらいなものです。海老も手に入りますが、新鮮なものは滅多にありません。モンゴウイカは冷凍されたものが闇市場で買えました。 私は、納豆が大好きなので、これは切らしたくないところです。日本食材を売っているお店に予約しておいて、すべてを買い占めて冷凍保存することにしていました。こうすることによって、週に2回食べるペースは保てました。ただし、値段が日本で買うものに比べて約5倍ですから、大変貴重品ということになります。 キャビアは比較的安く買うことができますが、イクラの代わりになるものではありません。ちょっとしつこい味なので、飽きてしまいます。250gで8000円くらいですから、決して安いものではありませんでけど、闇市場での相場ですから、ちゃんと買うと3倍くらいの値段になってしまうでしょう。因みに、カスピ海周辺で買うと、5000円くらいでした。 一番困るのが、日本酒でしょうか。2リットルの紙パックが闇市場で買っても8000円くらいしてしまいます。私の場合は、出張を繰り返す日本人チームがあったので、常時補給を受けることができたのがラッキーでした。最後の1年ではこれが止ってしまい、しびれたものです。結局、自分でタイに買いに出るか、家族と合流する際に、持って来てもらったりしていました。ドバイではお酒を入手することができないのが辛いところでした。買えても、イランに持ち込めませんからねぇ。 (イランの食材で作った握り寿司・・・キャビア、エビ、納豆、しいたけ、玉子) ![]() (寄せ鍋の具材) ![]() (寄せ鍋) ![]() (ドバイで買出しをして作った握り寿司) ![]() June 30 イランの思い出(18)ゴルフ場どこの国に赴任してもそうですが、日ごろの運動不足を解消するためにゴルフをすることにしています。テヘランには幸いにゴルフ場が一か所だけあり、そのゴルフ場までアパートからは10分くらいで行けます。実は、アパートを選ぶ際にゴルフ場のある場所も確認しておいたのです。 ゴルフ場は、エンゲラブ・スポーツ・コンプレックスという施設の一角を占めています。この運動施設は広大な敷地を持っていて、プールやテニス、サッカーなどさまざまなスポーツが楽しめます。私が着任してゴルフを開始した頃は、週末だと言え、ゴルフ料金は比較的安いものでした。3000円くらいだったと思います。しかし、その後どんどん値上げをして、今では5000円を超えていると思います。 そのゴルフ場、日本やタイのゴルフ場と比べるととんでもないゴルフ場です。フェアウエイは芝生の代わりに雑草が生え放題、隣のホールとの境目がほとんどないという場所もあります。しかも、18ホールなくて、13ホールしかありません。5ホールを2回プレーして、全部で18ホールにするというものです。 ゴルフ場では、日本人のほかに韓国人を多く見かけました。イラン人は夕方、のこのこ出て来てプレーしているようでした。早朝からスタートするのは、もっぱら日本人と韓国人でした。この二つの国の人たちはゴルフが大好きと言ってもいいでしょう。そして、2回目のホールでは、当然ながら順番待ちの大渋滞が起きるのでした。 イランではまず雨は降りません。雨でコンペが中止になったことは2、3回しかありませんでした。しかし、冬には雪が降ります。幹事になってしまったときには、雪でも現地に行かなくてはいけません。雪の降る中、プレーをして雪が積もってしまい、9ホールで中止したこともあります。私は、怠け者ですから、幹事でなければ寒い日のプレーなんてやりたくないのですけどね。 私は、イランで約4年間過ごしましたが、最後の1年はゴルフをやめてしまいました。その理由は、ゴルフ場に飽きてしまったこと、そしてゴルフ場が危険だからです。私は、誰かのボールに当たったことはありませんでしたが、当てたことは再三ありました。下手だからなのでしょうね。(苦笑) プレーを一緒にする人たちは、日本人の仲間で、毎週金曜日にコンペをやっていました。参加者は、日本の商社に働いている人が多かったです。30名くらいメンバーがいて、結構盛んでした。ただ、ゴルフ場にクラブハウスがなく、シャワーもないし、ビールも飲めないので、18番ホールを終了すると、そこで表彰式をやって直ぐに解散というものでした。 このゴルフ場、昔はちゃんと18ホールあって、しかもちゃんとしたコースだったそうです。現在は、あちこちが削られ、13ホールしかなく、しかも、それがちゃんとしたホールとは言えないような代物なのです。それでも、イランにゴルフ場があるということが意外でもあり、曲りなりにもプレーできるというのは喜ばしいことです。 ゴルフ場にキツネが住んでいて、ときどきゴルフボールをくわえていくというようなこともありました。ボール拾いのイラン人が現れて、プレー中のボールを拾って行ってしまうということもありました。(笑) ![]() (私は、48インチ長尺ドライバーを使用しています。) ![]() June 29 イランの思い出(17)レストランどこの国に行っても、単身赴任の私には、レストランでの食事は大変重要なものです。外で仕事をしたり、出張の際には、レストランに入ることになります。私がイランで一番最初にレストランに行ったのは、イランに着いて間もない頃でした。運転手にテヘランで一番いいレストランに案内するように言ったのです。もちろん、運転手にもご馳走するからと言いました。
運転手が連れて行ってくれたレストランは、私のアパートの近くにあるものでした。周囲が高級住宅地ですから、確かに高級そうなレストランです。入り口には制服を着たガードマンがいて、レストランの中には同じ制服を着たウエイターがたくさんいました。ひょっとして値段も高いかなぁと少し心配しましたが、テーブルや椅子があまり高級には見えなかったので、たいしたことはないだろうと予測しました。 私は運転手に勧められたコーンスープと羊のケバブを注文しました。これが私にとって初めての純粋なイランの料理の体験です。やがてスープが給仕され、味をみると、なんとコーンスープが酸っぱいのです。予想もしていなかった味です。私は、「うへぇ、これは苦手だ」とふた口で食べるのを止めてしまいました。因みに、レモン果汁の入った酸っぱいコーンスープというのは今でも苦手です。(苦笑) 次に出てきたものが、羊のケバブです。まず驚いたことは、玉葱がほとんど丸のまま乗せてあったことです。オニオンスライスならいいのですが、ほとんどそのままでした。私は、イランの玉葱はそれほど臭いがきつくないのだろうと思いました。食べてみると、日本の玉葱とほとんど変わりませんでした。(汗) 肝心の羊のケバブは、串から外してありましたが、硬くて、臭いのです。私は、羊肉を苦手だと思ったことはありませんが、このケバブは臭かったですねぇ。この体験から、私は羊肉がちょっと苦手になってしまいました。それまで、パキスタンでも日本でも、羊肉を臭いと思ったことはなかったのですけどね。 私は、一番美味しいレストランに案内してと運転手に頼んだので、恨めしく思い、彼の食べているところを見てみると、なんと美味しそうに食べているではありませんか!うひゃぁ、イラン人にはこの味が美味しいのかぁ・・・ と思いました。私の最初のイラン料理との遭遇は大変な悲劇だったというのに・・・ 値段は、日本に比べればはるかに安いのですが、他のレストランよりは高かったようです。今から思うと、このレストランの羊肉はあまり新鮮ではなかったと思います。羊肉、ラムですが、これは新鮮でないと硬いし、臭みが出るものです。新鮮なものは美味しいのですけどね。 最初の写真は、道路沿いにあるごく普通のレストランです。ケバブなど、普通の食事だったら500円程度でしょう。下の二枚は、テヘランの中にある高級レストランです。こちらは、なかなか美味しい料理を提供してくれます。初体験のときとは比較にならないくらいいいですよ。^^ 地下にあるのですが、洞窟のような雰囲気です。私はこのときは口髭を伸ばしていました。^^
![]() June 28 イランの思い出(16)ホームパーティイランの生活に慣れて来た頃、身近なイラン人たちを呼んでホームパーティをやりました。集まったイラン人をみて驚いたことは、職場では着用しないネクタイをして来ていることでした。ホームパーティなら、普段着でいいのにと思ったのですが、話を聞くと、彼らはどうやらネクタイをしてお洒落を楽しみたいようなのです。禁止されていると、逆に着けたくなるものなのだと思いました。
招待客は、職場のイラン人二人、秘書、運転手とその妹、給仕をしているのはディーンです。食事のメインは、養殖の鱒です。妹を除いて全員がアルコールを嗜みます。テーブルの上には、日本酒とワイン、ウイスキーが見えています。 食事が終わると、リビングで水煙草をやりました。もちろん、みんなで回しのみです。水煙草は、煙を水の中を通すため、かなり軽いものですが、使う煙草によっても違います。品質の悪いものだと、かなりいがらっぽくて喉に来ます。良質なものは煙草臭がなく、添加されている香料の匂いだけがします。アップル、ミント、ピーチなどが一般的でしょうか。 音楽を流すと、やがて若い人たちが踊りだしました。飲んでハイになると踊りたくなるというのは、どこの国でも同じようです。日本人は歌いたくなるのかな。イランのダンスは、写真では阿波踊りのように見えますが、実際の雰囲気はかなり違います。独特の手の動きが面白かったです。 イランというと女性が黒いスカーフを被り、ダンスなんてやりそうもないように思われるでしょうが、今回紹介したものは決して特別なものではありません。イラン人のホームパーティも同じようにやられているはずです。私のところと違うのは、パーティの時間でしょう。イラン人の食事は夜の10時頃だし、パーティは深夜から早朝まで続きます。 週末になると、アパートのどこかでパーティをやっていて深夜の2時頃までは、音楽が聴こえていました。イスラム教で国を治めるという現在のイランですから、その窮屈さの鬱憤をホームパーティで晴らしているように感じました。どこの国でも若者はエネルギーを持て余しているのでしょうけどね。 (ディナー)
(水煙草)
(ダンス)
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