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30 settembre メキシコの思い出(6)ウシュマルアステカの遺跡であるテオティワカン、マヤの遺跡であるチチェンイツァ、どちらも有名ですが、私はウシュマルの遺跡が好きです。落ち着いた雰囲気に好感を持つのかも知れません。半日くらいのんびりと散策したい気分になりますよ。 ウシュマルの遺跡は、7世紀頃のマヤの古典期に繁栄したそうですから、遺跡は古く落ち着いているのですね。ピラミッドの形もどこか女性的で優しい感じがします。 (魔法使いのピラミッド・・・こちらは登頂禁止です。) ![]() ![]() (ピラミッドの周辺) ![]() ![]() ![]() ![]() 29 settembre メキシコの思い出(5)チチェンイツァチチェンイツァの遺跡は、メキシコシティから飛行機で行くほどの距離です。飛行機で45分くらいだったと記憶しています。舌を噛みそうな名前ですが、チチェン・イツァと書いた方がよさそうです。 マヤ文明は、アステカ文明の遺跡よりは新しく、6~7世紀に隆盛を誇りました。その後、一旦歴史から消えますが、10世紀になって再び栄えたそうです。大きな遺跡は10世紀頃のもののようです。 カスティージョのピラミッドは急傾斜を持っています。観光客も登れるのですが、その急傾斜のために諦めてしまう人もいるようです。登るときに比べて降りるときはもっと大変です。45度くらいの傾斜だと思います。登ってもそれほどいいことはないのですが、やはり登ってみたいものですね。 このカスティージョ、春分の日と秋分の日には面白いことが起こるそうですが、どうやらピラミッドの装飾の影が羽の生えた蛇に見えるようです。私が訪問したのは、そういう特別な日ではなかったのでどうなるのか見当もつきませんでした。(苦笑) 写真のほかに、この遺跡の中には、球戯場やら生贄を捧げた池などがありました。球戯では髑髏を蹴っ飛ばして遊んでいたようですし、池の中には女性や子供の骸骨や装飾品などが出てきたそうです。マヤ文明というのは怖い文明ですねぇ。 (カスティージョと呼ばれるピラミッド) ![]() ![]() (戦士の神殿) ![]() ![]() ![]() 28 settembre メキシコの思い出(4)テオティワカンメキシコと言えばピラミッドですね。メキシコシティの近くには、アステカ文明の遺跡であるテオティワカンがあります。アステカ文明は、紀元前6世紀から2世紀まで存在していたものです。テオティワカンは、メキシコシティから北東に約50km離れたところにあります。タクシーでも行ける距離です。 テオティワカンというのは「神々の都市」という意味だそうで、そこには「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」、「死者の大通り」などがあり、世界有数の遺跡といえるでしょう。計画都市らしく、ピラミッドなどの配置は整然と設計されています。もちろん世界遺産に登録されています。 朝早く、テオティワカンに到着しましたが、まだ観光客が少ないというのに、お土産の売り子が待ち構えていました。メキシコでは言い値で買うと損をしてしまいますから、3分の1の値段から交渉を始めるのが普通でしょう。結局半分の値段で折れるようですけど、3分の1でも損はしないはずですよ。 観光の後、近くでランチにしましたが、こういう観光地の食事というものにはなかなか美味しいものには当たりませんね。珍しいのでウサギの焼肉を注文しましたが、肉は硬いし、味もちょっとひどかったですねぇ。(苦笑) 素晴らしい遺跡で感動した後ですから、ちょっと残念ですね。 (太陽のピラミッド) ![]() ![]() (太陽のピラミッドから月のピラミッドを見る) ![]() (月のピラミッド) ![]() (月のピラミッドからの眺望) ![]() 27 settembre メキシコの思い出(3)テノチティトラン実は、私はメキシコシティに行く前に、メキシコシティが昔湖であったことを知りませんでした。標高の高いメキシコシティですから、そこが湖だったなんて予想もできませんでした。博物館でそれを知りましたが、そのときには驚いたものです。昔の都市は、テスココ湖の中の島に築かれたものだったのです。その後どんどん埋め立てられて現在のようになったといいます。 ソカロ広場は、この湖上の都市テノチティトランの中心部にあったそうです。アステカの時代の遺跡がメキシコシティの地底に多く眠っているそうですが、現在でも都心であるため発掘は難しいそうです。ソカロ広場の近くに遺跡がみられ、野外博物館になっています。 ![]() (こちらでは、三つの時代が同時に見られます。アステカ、スペイン植民地時代の教会、そして現代の建築物) ![]() ![]() ![]() 26 settembre メキシコの思い出(2)メキシコシティ今回はメキシコシティの観光案内をしたいと思います。私が宿泊したのは、メキシコシティの銀座通りともいえる「ソナ・ロッサ」の近くの3つ星クラスのホテルでした。高級感はありませんが、中庭のある落ち着いた雰囲気のホテルでした。 観光として誰でも訪問するのが、ソカロ広場でしょう。広場の一帯は世界遺産に登録されているそうです。ソカロ広場には大統領官邸と大聖堂があるだけでなく、この場所はアステカ王国の時代にも中心地だったそうで、テノチティトランという遺跡があり、野外博物館になっています。 ソカロ広場は、時間帯にも寄りますが、大抵は大勢の人が集まっていて、大道芸人たちが芸を披露しています。民芸品を売る人や観光客でごった返しているのが普通です。 (ホテル・・・マリア・クリスティーナ) ![]() (独立記念塔) ![]() (美術館) ![]() (ソカロ広場・・・左が大統領官邸、右が大聖堂) ![]() (大聖堂) ![]() 25 settembre メキシコの思い出(1)民族博物館ベネズエラの思い出の後は、メキシコ旅行をしたときの写真をアップしたいと思います。日本からベネズエラに行く際の経由地にメキシコを選んだので、メキシコ観光ができました。日本からベネズエラに行く最短コースはニューヨーク経由です。ちょっと意外でしょうが、地球儀でみてもらえばそれが分かると思います。 メキシコには2回ほど行っていますが、今回紹介させていただく写真は、一時帰国の際に立ち寄ったものです。この時が私にとって初めてのメキシコでした。二回目は家族を案内してのメキシコ観光だったので、家族との記念撮影の写真ばかりしか残っていません。 メキシコシティに着いて、ホテルにチェックインしてからいよいよ観光開始です。スペイン語圏なので英語が通じなくてもなんとかなります。”S”をほとんど発音しないベネズエラの訛を気にしながらでしたが、日本人のスペイン語でも通じるものです。 最初には、まずメキシコの歴史を知りたくて、民族博物館に行くことにしました。日本からだったら「地球の歩き方」などで事前に情報を知ることができますが、ベネズエラからだったのでメキシコに関する知識はほとんどありませんでした。インターネットをやっていれば、いろいろ情報が集められたでしょうけど、1999年頃、私はインターネットをほとんど使っていませんでした。 (民族博物館入り口) ![]() (マヤ文明の遺跡) ![]() ![]() (近くで曲芸をやっていました。) ![]() ![]() (売り子さんの写真を撮らせてもらいました。) ![]() 18 settembre ベネズエラの思い出(16)プエルト・ラ・クルスプエルト・ラ・クルスは、カラカスから300kmくらいの距離にあります。観光地ではないので、旅行案内はほとんどないと思います。カリブ海の海岸沿いの都市なので、日本にあったらすごい観光地になりそうです。どこにでもいる日本人観光客ですが、さすがにこちらでは見かけませんでした。
ベネズエラで面白いことは、首都のカラカスの物価が一番高いものではないというのがあります。地方都市の方が物価が高くて驚かされることがありました。このプエルト・ラ・クルスもその例でした。どうしてそうなるのか理由があるはずです、事情を聞いてみると、どうやらベネズエラの石油公社が拠点を持っている都市にその傾向があるようです。 ベネズエラのお金持ちの子女やエリートたちのほとんどが、この石油公社(PDVSA)の就職を目指します。産油国ベネズエラらしいことですね。石油公社は最大の国営企業で、全国に拠点を持っています。従業員が多く、給料がいいので、その都市の物価が上昇するといわれます。プエルト・ラ・クルスは港湾都市ですが、内陸部にも同様の都市がありました。 プエルト・ラ・クルスは別荘地としても格好の場所なのですが、物価が高いのはちょっと困りものですね。でも反対にそれだけいろいろなものが豊富にあるとも言えるのかも知れません。 ベネズエラにはお城はないと思いますが、砦は遺跡として残っています。スペインの植民地だった名残と言えるでしょう。プエルト・ラ・クルスには、昔のパレスようなものと砦の遺跡がありました。写真では、砦の方をアップしました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 17 settembre ベネズエラの思い出(15)結婚式ベネズエラの人々にはカトリックが多いようです。独身の日本人専門家が現地の女性と結婚することになり、私は初めてカトリックの結婚式に出席することができました。私はクリスチャンではありませんから、公式行事で教会に入ったのは初めてのことです。 結婚したお二人は、今は子供にも恵まれ、日本に住んでいらっしゃいます。どこかで遭うといけないので、写真はサングラス処理にしました。 教会での結婚式そのものは、割り合い短時間で終了しました。日本の神前結婚式と同じくらいです。クリスチャンの結婚式は、映画などでも観る機会があるので、特別変わったものはありませんでした。 結婚式が終わって、新郎新婦はあたかもハネムーンに出掛けるような演出でした。この後、結婚披露宴になるので、まだハネムーンには出掛けることはないのですけどね。新郎新婦の乗った車を見た他のドライバーたちが、祝福のためでしょう一斉にクラクションを鳴らしました。 結婚披露宴は、高級なレストランを借り切って行われました。こちらは制限時間のある日本の結婚披露宴と違って、挨拶のほか、飲んで、食べて、踊って、何時間も続きました。 (新婦の入場) ![]() (牧師さん) ![]() (新郎新婦の指輪の交換) ![]() (披露宴で新婦のガーターを新郎が外し、独身参加者に投げます。) ![]() (レストランの出口には祝福のクス球のようなものがあり、中に入っているものは米でした。) ![]() 15 settembre ベネズエラの思い出(14)中央部ベネズエラの南、ブラジルの方向にはカナイマ国立公園がありますが、国の中央部はどうなっているのでしょう。そういう好奇心からコロンビア方面の南西部の様子を見るために、車で移動したことがあります。コロンビア方面は治安に問題があるので、国境近くまで行くことは避けましたけどね。
この地域には観光地はありません。コロンビア国境の方に近づけば、インディオが住んでいるかも知れないし、ひょっとして遺跡があるかも知れません。治安に問題がなければ、探検してみたいものです。 ともあれそこにあったものは、ひたすら続く牛の放牧場でした。ベネズエラ国内の牛肉を供給しているのでしょう。走っても走っても、見えてくる景色はどこも同じです。23州あるベネズエラですが、この地域が一番退屈でした。私はしょうがないので車の中にミニバーを作って、移動中に飲んでいました。^^ もちろん、運転手は一滴も飲んでいませんでしたよ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 14 settembre ベネズエラの思い出(13)温泉温泉というといかにも日本の専売特許のように感じている方が多いようですが、ベネズエラにも温泉はあります。イランにもあります。もちろん、ベネズエラでは日本のように裸で入るということはありませんが、温泉を楽しむということはやっています。
写真の場所の名前は忘れてしまいましたが、カラカスから南に車で2時間くらいのところだったと思います。宿泊施設があるので、日本の温泉旅館みたいです。温泉の見かけがプールみたいなので気分は出ませんけどね。(苦笑) 二番目の写真で温泉の湯気が見えると思います。ベネズエラ人は温かいお湯に浸かるのが苦手なようで、みんな恐るおそる入っているように見えますね。 ![]() ![]() ![]() ![]() 13 settembre ベネズエラの思い出(12)プエルト・オルダススペイン語が分かると不思議だと思うのですが、プエルトとうのは港という意味です。内陸にある都市の名前に港という名前がついているというのは不思議な感じですね。このプエルトという名前は、大きな川であるオリノコ川の港という意味だと思います。
プエルト・オルダスには大きな工業地帯があります。原料や製品の出荷にはオリノコ川にある港の役割は大きいでしょう。この工業地帯と日本とは、アルミニウム、鉄鋼などで重要な関係を持っています。縁の薄いと感じる遠い南米ですが、日本と無縁という訳ではありません。 この他にプエルト・オルダスは、カナイマ国立公園への中継地点という役割もあります。カナイマ国立公園に直接飛行機で向かわない場合は、プエルト・オルダスに寄ることになるでしょう。 私は、プエルト・オルダスで2週間を過ごしましたが、日本食レストランが一軒あったのには救われました。もっとも値段が高いので、お昼を食べるという程度でしたけどね。多分、派遣された日本人の何人かがこの地に住んでいることと思います。 ブラジルから近いので、ディスコなどにはブラジル人女性の出稼ぎがいっぱいいました。アマゾンから北側のブラジルは貧しい地域ですから、産油国のベネズエラに出稼ぎに来るというものなのでしょう。外国人の単身赴任の多そうな工業地帯を持つ、プエルト・オルダスですからそのような仕事が繁盛するというのは分かりますけどね。 2週間の滞在の後、私はプエルト・オルダスを後にして、来たルートとは別ルートでカラカスに帰ることにしました。長い道のりですから、同じルートで帰るというのでは芸がありませんからね。ということで、プエルトの語源である港からフェリーで対岸に渡ったのでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 12 settembre ベネズエラの思い出(11)グリ発電所ブラジルにある世界最大の滝、イグアスの滝の近くには世界最大の水力発電所、イタイプー発電所がありましたが、カナイマ国立公園の近くにある地方都市、プエルト・オルダスには世界第二位の水力発電所があります。この頃、1,300万KWの規模だと説明を受けた記憶があります。イタイプー発電所は1,600万KWだったと思いますが、数値は定かではありません。
日本にある普通の火力発電所の規模は、200~400万KWですから、すごい規模だということがお分かりいただけるでしょう。遠景からではなかなその規模が分からないと思います。連続して写真をアップしましたから、その大きさを想像してみてくださいね。 産油国であるベネズエラには水力発電もあるということで恵まれていますね。同じ産油国のイランではこうは行きません。それで原子力発電が必要ということになるのかどうか・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (参考)イタイプー水力発電所(ブラジル) ![]() 11 settembre ベネズエラの思い出(10)グランサバナサバンナという呼び名の方が馴染みがあるかも知れませんが、現地ではサバナと呼んでいます。サバナとは、「乾季と雨季のある熱帯に分布する疎林と潅木を交えた熱帯長草草原地帯」のことです。サバナは、ベネズエラ以外にもアフリカ、ブラジル、パラグアイにもみられるそうです。
ベネズエラにあるサバナは、規模が大きいことからグランサバナと呼ばれ、テーブルマウンテンがいくつも存在し、さまざまな滝がみられます。カナイマ国立公園はこのサバナの北西部に位置しています。国道はやや東側を南北に貫通していて、ブラジル国境まで続いています。 私は、工業地帯を持つプエルト・オルダスで仕事があったので、カラカスから車で現地に行くことにしました。カラカスからブラジル国境までは約1,300kmあると思います。往復で3,000kmを走った後、私のアパート直前で他の自動車と衝突するという交通事故を起こしてしまいました。私は、アパートに戻りましたが、運転手は気の毒に長い運転の後、事故処理を行わなければなりませんでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 10 settembre ベネズエラの思い出(9)ラ・グアイラの魚市場ラ・グアイラには魚市場があります。一般の人も買えますが、地元の人しか行かないかも知れません。カラカスのレストラン経営者がお客さんだろうと思います。ベネズエラの気の利いたレストランにはシーフードメニューがありますから、仕入れは大事なことでしょう。
実は、このとき漁業の専門家に案内されて魚市場を見学に行ったのです。日本人はシーフードの鮮度については大変神経質ですが、ベネズエラではそれほどではないということでした。カリブ海が近いせいでしょうが、漁獲して直ぐに冷凍するということはあまりやっていないということでした。 この市場、早朝からやっているかと思えば、さにあらず。午後くらいから活発になるようでした。真っ暗なうちから漁に出るということをしないようです。漁業にもラテン人らしさが出ていると思いました。 インフレの激しいベネズエラです。当時の貨幣価値を忘れてしまいましたが、1000BS(ボリーバル)は200円くらいじゃなかったかと記憶しています。100ドルを両替して、500BS札だけで束になったことを覚えています。 魚市場には、魚だけでなく、イカ、エビ、カニ、貝などがありますから、イランに比べれば天国のような環境に感じます。テヘランでは、エビと養殖の鱒しかないというのが通例ですからね。このほかに、ロブスターもあるはずですが、このときには見かけませんでした。 ![]() ![]() ![]() 09 settembre ベネズエラの思い出(8)マラカイボカラカスやメリダは標高が高いので涼しいのですが、マラカイボはかなり暑いと聞いていました。標高だけでなく、地熱まであって一層暑いと職場の仲間に言われました。この話が本当かどうかは分かりませんが、確かに暑かったです。
私たちは、ベネズエラ人の友人の職場を訪ねて行きました。彼は、機械工学を専攻していたのでクレーンなどの重機を製作する会社に転職したのでした。暑いマラカイボでの生活は大変だとぼやいていました。その後、彼の会社が潰れてしまい、カラカスに舞い戻って来ることになったのは気の毒なことでした。 ともあれ、私たちが彼を訪れたとき、彼は希望に満ちていました。自分の専門を活かした職業につけた喜びでいっぱいだったのです。私たちは彼の会社を案内してもらい、どんな仕事なのかを見せてもらいました。そして、いよいよ皆既日食が始まったです。 厳密に言うと、金環食でした。もっとも美しいと言われる日食です。太陽が月に隠され始めると、日中だというのに不気味な暗さになりました。昔だったら、さぞかし恐れおののいたことでしょう。ベネズエラでは、この日食に合わせて太陽を見るサングラスなどが売り出されていました。日本からも多くの観測隊がベネズエラに向かったそうです。 望遠レンズで金環食を撮影してみました。シャッターチャンスは僅かしかありませんでしたが、なんとか撮影できました。 ![]() 08 settembre ベネズエラの思い出(7)メリダベネズエラの最高峰は、標高5007mのピコ・ボリーバルという山です。この山はメリダ山脈の中にあり、ロープウエイで4000m以上まで登れるという情報でした。カラカスからメリダまでは長い道中です。私と次男坊は、車で1週間くらいの旅行に出掛けました。
実は、この時、ベネズエラのマラカイボで皆既日食が見られるということで、それに合わせて旅行を計画したのでした。折りしも、職場で知り合った友人が転職してマラカイボにいるということもあり、再会を楽しみにしたのでした。皆既日食のときのお話は次回ということで、今回はメリダの話題です。 途中バルキシメトで一泊し、翌日メリダに接近すると、長い長い上り坂の九十九折れを抜けなければいけませんでした。私たちもそうですが、この長い上り坂にはさすがの運転手もうんざりしていました。メリダは多分標高2000mを超えているのだろうと思います。実際メリダに着くとかなり涼しかったです。 翌日、ロープウエイに向かいましたが、ロープウエイの最終段が稼動していないとのことでした。最終まで行ければ、ピコ・ボリーバルが見えたと思うのですが、残念ながら見ることを断念せざるを得ませんでした。それでも、ロープウエイで標高4000m以上にまで行けるとのことでした。 2000mから一気に4000mの高さですから、高山病を心配しましたが、私は空気が薄いと感じる程度で平気でした。次男坊が少し体調が悪そうでしたが、少し高山病を経験したのかも知れません。4000mを超えるところで、少し景色を見て下山しましたが、高山植物や、万年雪を見ることができました。 その後マラカイボに向かいましたが、途中で古い教会に寄りました。この教会、私の持っていたガイドブックに写真があったので見てみたいと思っていたものです。昔スペイン人たちが新大陸を目指して渡って来て、教会を作ったという雰囲気が出ていると思います。 ![]() ![]() ![]() ![]() 07 settembre ベネズエラの思い出(6)カナイマ国立公園ベネズエラで一番魅力的な国立自然公園は、なんといってもカナイマ国立公園でしょう。カラカスからは500km以上離れた場所にありますから、移動は飛行機でということになります。私は仕事で自動車で行ったことがありますが、観光では無理でしょうね。
カナイマ国立公園には、世界一の落差を誇るエンジェルの滝があります。そして、映画ジュラシックパークなどで有名なテーブルマウンテンがいくつも見られます。宿泊施設も国営なので、すべて予約してから向かいます。私が行ったときは、日本から家族とそのお友達のご一行がベネズエラに来たのでその案内でした。 宿泊した翌日にはまる一日の現地ツアーがあって、ダイナミックな大自然を満喫させてもらいました。テーブルマウンテンのいくつかを案内されたり、多種多様な滝を見たり、水遊びをしたり、スケールの大きなツアーが楽しめます。 サファリルックの日本人観光客のご一行がいましたが、彼らはヘリコプターでテーブルマウンテンに登り、宿泊した後、徒歩で下山するということでした。どこにでも日本人というものはいるものです。テーブルマウンテンは高さが1000mもあり、その断崖絶壁は壮観です。上から下を見るとどうなんでしょうねぇ。 テーブルマウンテンは長い時間を掛けて周辺が侵食されて形成されたとのことです。頂上は隔離された世界ですから、興味深い生態系が残っているのですね。まさか、恐竜はいないと思いますけど。この頃、私に植物に対する関心がなかったことが悔やまれます。 エンジェルの滝を見るのには、雨季だったらボートで滝の近くまで行けますが、乾季では川の水量が足らなくなるので、小型飛行機で上空からの観光になります。パイロットがサービス精神が旺盛で、たくさん旋回してくれたのはいいのですが、私たち一行はすっかり飛行機に酔ってしまいました。カラカスに戻る飛行機のフライトまで数時間あったので良かったのですが、そうでなかったらみんな大変だっただろうと思います。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (エンジェルの滝・・・乾季なので水量がありません。) ![]() 06 settembre ベネズエラの思い出(5)パーティイランでもホームパーティは盛んでしたが、南米の国ベネズエラですから、それこそパーティのために働いているというような雰囲気です。パーティの始まりは、普通は夜の9時か10時頃でしょうが、私たちが日本人ということで7時頃から始めていました。料理の準備はもちろんですが、一番すごいのがビールの量です。10人くらいのパーティでも100缶くらいは用意しないと足りなくなります。 ワインも人気がありますが、若い男性たちは深夜までビールを飲み続けていました。もちろん、ウイスキーもありますけどね。食事までは、飲みながらおしゃべりです。私のアパートでは、テラスにもテーブルと椅子があるので、25人くらいまでは問題ありませんでした。 料理はメイドが用意したり、私が日本食を作ったり、パエリアの出前をとったり、いろいろでした。みんなが何かを持ち寄ったりということもありました。メイドがいなければ、ファーストフードでテイクアウトでもいいし、パーティと言っても気楽なものです。 食事が終われば、ダンスです。私はダンスが苦手なのでもっぱら観客でしたが、仲間たちは楽しそうに踊り続けていました。12時を過ぎると、ダンスにも飽きるのでしょう、カラオケのシステムはありませんでしたが、マイクはあるので、ステレオの音楽に合わせてラテン音楽のスタンダードナンバーが次々に登場して来ました。 歌詞を覚えているというのはすごいですね。そして、古い歌でも大事にしている、この姿に好感を持ちました。ベサメ・ムーチョ、シェリートリンドなどなど、このときには、リッキー・マルティンの歌も流行っていました。 パーティには仲間の男性たちはパートナーを連れてくるのが普通です。パートナーを11時頃に家まで送ってUターンして来るのがいつものことでした。11時半を過ぎる頃は、仲間だけの酔っ払いです。運転手もいい気分で酔っ払っていました。この運転手はアルコールを混ぜると悪酔いすると強く信じていて、安いウイスキー以外は決して飲みませんでした。 治安の悪いカラカスですから、残って騒いでいるみんなは深夜に帰宅することはありません。2時頃まで騒いで、ソファーで横になって明るくなるのを待ちます。明るくなったら、地下鉄で帰宅ということになります。ビールを飲み続けた連中は、あさになるとトイレでゲロゲロやっています。いつもそうなのにどうしてそこまで飲むのでしょうね。(苦笑) ![]() ![]() ![]() ![]() 05 settembre ベネズエラの思い出(4)インターナショナル・スクール次男坊はもう26歳になりますが、私がベネズエラにいた当時、在学中の高校から1年間の留学許可をもらい、一年間インターナショナル・スクールに通いました。次男坊はベネズエラの前、半年間だけ英語勉強の準備期間としてマレイシアでインターナショナル・スクールに通ってたので、こちらへの留学は計画的なことではあったのです。 ということで、一年間という留学で済ませるか、その後さらにインターナショナル・スクールに進み、日本の高校を退学するかどうかは1年後に考えようというものでした。だから、次男坊にとっては一年間の遊学という訳ではありませんでした。英語の準備期間があったとはいえ、英語による授業に本格的に参加しなければなりません。 カラカスには、”コレーヒオ・インテルナシオナール・デ・カラカス”というインターナショナル・スクールがありました。名称はスペイン語ですが、授業は英語によるものです。次男坊によると授業の内容が日本の教育より遅れているので内容は分かるのだけど、英語による回答などで苦しんだようでした。 この学校の生徒たちは、世界各国から来ている人たちの子供なので、次男坊は多くの国の人たちと知り合いになることができました。日本人生徒がグループになりがちなので、できるだけその中に入らないように注意しました。勉強では助けてもらえるだろうけど、自立できなくなることを恐れたのです。多くの生徒は、英語は母国語ではありません。そういう環境でも、日本人が集団で行動しがちなのは、国民性でしょうか。 友人同士のコミュニケーションも英語でやらなければならないので、一時期次男坊は英語能力で少し悩んでいました。思春期ですから、少し難しい内容も会話の中に入って来ます。普通の英会話能力では意思の疎通には不自由なものでしょう。 丁度この時期、円が猛烈に安くなりました。1ドル、145円まで行きました。現地は強烈なインフレの世界です。現地滞在費が見直される間にどんどん物価が上がって行きます。インターナショナル・スクールの月謝は15万円にも及ぶもので、この時期は生活費の節約の必要がありました。これは海外滞在ではじめての経験でした。 結局、次男坊は一年の留学の後、日本の高校に戻る決断をしました。私は、その後も外国で生活を続けたので、インターナショナル・スクールを卒業し、米国の大学に進むという道もあったのですが、本人の決断ですから、それはそれでいいんじゃないかと思いました。海外での1年半という生活、学校での経験が、次男坊の将来に活きるんじゃないかなと思っていますが、いまのところ分かりません。(苦笑) ![]() ![]() ![]() 04 settembre ベネズエラの思い出(3)カラカスベネズエラという国、赤道の近く、あるいは南半球と思っている人があるかも知れませんが、さにあらず、ベネズエラは北半球にあり、カラカスは北緯12度くらいのところにあります。赤道はブラジルのアマゾン辺りですから、それよりは北側にあるということが分かるでしょう。南半球と思われることがあるせいか、ベネズエラで一番売れているビールは、ポラール(北極)という名前でした。 ベネズエラ人は暑いところが嫌いなので、高地を好むようです。カラカスは標高1000m以上あり、一年中過ごしやすい気候をしています。標高の低いところ、例えばマラカイボや、カラカスの近くのバレンシアなどに行くとそこはかなり暑くなります。 カラカスの近くにあるラ・グアイラ飛行場も海の近くなので、こちらも暑いところです。カラカスは地図でみると海にかなり近く見えますが、実はアビラ山というのが海の間にあって、車ではぐるりと回って行かないといけません。トンネルでもあれば10分くらいで行けそうですけどね。ということで、ラ・グアイラには海水浴場やリゾートホテルがあります。カラカスから1時間くらいで海に行けるというのは嬉しいことでした。 「ラ・グアイラ海岸」の記事 はこちらです。 (首都カラカス・・・周囲を山に囲まれています。) ![]() (カラカスの西端から東をみています。) ![]() |
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