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31 agosto ハワイ(7)読書とサーフィン二日目はオアフ島観光をしましたが、その後、私はもっぱら読書、息子たちはサーフィンというリゾート気分を満喫しました。私は丁度その時、ネット友の女性がハワイに住んでいられたので、彼女の家族との会食が楽しみでした。 私は、イランの派遣のために「千年医師物語Ⅰペルシャの彼方へ」という分厚い本を読んでいました。ハワイにいながらまだ知らぬペルシャの地を夢見ながら過ごしていたのでありました。実際この作品はイランとその周辺の国々の事情が詳しく描かれていて、私には大変参考になりました。 赴任する国イランへの憧憬を深めたのはまさにハワイ滞在のときだったのです。ハワイそのものに見向きもしなかったのはハワイの方々に申し訳ないのですが、個人的にそういう背景があったことをご理解いただきたいと思います。 ハワイ滞在中は基本的に自炊していたのですが、スーパーで買ったステーキとレタスの美味しかったこと、それだけでハワイを満足したと言っても過言ではありません。柔らかくて美味しいビーフステーキは意外でもあったのです。日本の松坂牛などには敵わないだろうなんて思っていたから、一層驚いてしまったようです。レタスはとても水々しくて、こんなに美味しいレタスは食べたことがないというくらいのものでした。 私が読書をし、午後にインターネット・カフェに行ってチャットをし、またホテルに戻るという日々を過ごしましたが、サーフィンに出掛けている息子たちの帰りが遅い日がありました。もう外は真っ暗です。暗くなったらサーフィンは出来ないはずです。普段は呑気で平然としている父親ですが、ひょっとして溺れたんじゃないか、何か事故に遭ったんじゃないか、妙な人に絡まれたんじゃないか・・・ あらぬ妄想に苦しみました。 結果的には面白くて帰りが遅くなったというものでしたが、穏やかなはずのリゾート中に心中穏やかでない時間があったことは忘れられません。もちろん息子たちが帰って来たときには、内心はほっとしながらも平静を装っていたことは言うまでもないでしょう。 ![]() ![]() 30 agosto ハワイ(6)真珠湾ハワイと言えばパールハーバー、パールハーバーと言えば太平洋戦争、オアフ島を訪れれば、このことを無視していることはできないでしょう。日本帝国海軍の奇襲というか、資源のない国日本の考えた作戦でしたが、その結果は無条件降伏ということになってしまいました。 私の時代になってこうしてパールハーバーを訪問しているというのはなんとも不思議な気がします。60年以上も前に日本軍の飛行機が来襲し、さんざん爆撃、雷撃などの攻撃をした場所という実感はなかなか湧きません。そこで、記憶を留めようとするためでしょう、沈没した戦艦をそのままに記念館として保存してありました。 映画「パールハーバー」はリベンジ・ストーリーにロマンスを載せる手法の映画でしたが、あまり感心したものではありませんでした。史実は正しく描いてほしいものです。病院を攻撃なんてしなかったはずなんですけど、憎い敵として描くための演出だとしてもちょっと問題でしたね。 ミズーリが係留してあり、博物館になっていました。日本の敗戦処理のための署名が行われた戦艦です。想像したよりも小さな戦艦だったことは少し意外でした。太平洋の中では一層小さく見えたことでしょう。 (パールハーバー) ![]() (戦艦ミズーリ) ![]() (戦艦ミズーリの艦上) ![]() 29 agosto ハワイ(5)オアフ島観光ハワイそのものに興味のないヘソ曲がりのえるだまですから、着いた日はおとなしく時差管理と称して、のんびり過ごすことにしました。それでも、翌日は息子たちがいるので、一応オアフ島内観光をしようということで、三人で仲良く行動を共にしました。コースは東から反時計回りで移動しました。 前述したように、このときのハワイは二度目でした。初めてのときは、ワイキキ周辺とゴルフ場のあるオアフ島の西の方のマカハ滞在しました。実はその時初めてリンカーンのリムジンに乗ったのですが、私は英語ができるということで助手席だったのです。その時の悔しさが今回晴らせたのは良かったですけどね。大きなリムジンの助手席ではちょっと哀しいものねぇ。(苦笑) ハナウマ湾に行く途中に気になったことがありますが、高級別荘って小高い丘の上に建っているんですね。場所が変わって南米だとまったく反対の光景が見られるので面白いものです。日本でも葉山などでは高級住宅が小高いところにあるようですね。南米ではまったく反対で、小高い丘にあるのは貧民の住む家ばかりなのです。どこの国を境にこの傾向が変わるのか分かりませんが、好対照です。 息子たちはサーファーですから、ノースショアの波がどうのこうの話をしています。ハワイの波に乗れるほど上手くないくせにと私は心の中で思っていました。実際彼らも大きな波を見るとさすがに怖いようで、ワイキキの小波で遊ぶ決心をしたようです。ノースショアのコンテスト会場をみると何人かのプロのサーファーが演技をやっていました。それは見事なものです。 (リムジン) ![]() (ハナウマ湾) ![]() (ノースショア) ![]() (ノースショア近くのレストランにて) ![]() (元横綱曙のお母さんと一緒に記念撮影) ![]() 28 agosto ハワイ(4)二回目のハワイ今回からは2度目のハワイ、2001年のことです。この時のハワイは9.11のせいで、観光客の数が激減していました。有名なショッピングモールは閑古鳥が鳴いているありさまでした。こんなに人のいないハワイはなんか異常です。だから私たちは格安料金でハワイに来ることができたのですが、観光客を頼りにしている地元の人たちには大変な打撃だったでしょう。 今、ハワイはアメリカ人の中で大変な人気だそうで・・・ 海外旅行ではテロの心配があるということで国内のリゾート地であるハワイに人気が集中しているということです。9.11で閑古鳥が鳴いたハワイですが、再び人気が盛り返したことは良かったと言えるかな。もう料金が普通になっているから、私には縁がなくなりましたけどね。2001年のときは、9泊で航空運賃込みで10万円だったかなぁ・・・ もうこんな料金はないでしょうね。 安い料金でハワイ滞在できたので、私は読書三昧の日々を過ごしました。息子たちはサーフィン三昧でしたけどね。長期滞在用のホテルだったので、自炊をして過ごしました。この頃、米国のステーキは美味しかったですよ。ハワイのレタスもとても美味しかったです。 ハワイで困ったことがインターネットです。一番の問題が時差で日本人とのコミュニケーションができるのはだいたいハワイ時間の午後1時から3時でした。19時間の時差ですから、5時間の時差と思えばいいのかな。ハワイの午後で日本は翌日の朝になっています。 二番目の問題はインターネットの料金でした。これだけインターネットが普及しているのに、ハワイ滞在の観光客は非常に高い料金でしか利用できないというのは不愉快でした。インターネット喫茶に毎日行きましたが、1時間で10ドルくらいを払ったと記憶しています。今ではインターネットカードなどあると思うのですが、このときはそれすらないという話でひどかったと思います。 (ホテルからの眺望) ![]() (サーファー兄弟) ![]() (インターネット喫茶) ![]() 27 agosto ハワイ(3)ワイキキ4日間ゴルフのつもりでハワイに行ったのですが、仲間の希望で4日目は観光になってしまいました。ホテルは東の端の方、カピオラニ公園の近くにありました。ゴルフがキャンセルになったので、朝から散歩をしてみました。ショッピングに興味のない私はこの日何をしたかなぁ。銃で実弾を撃ったりしたかな。 イランだとクレー射撃の場合、300円で10発くらい撃てますが、ハワイでは高価でした。生まれてはじめての実弾射撃でしたが、結果はまあまあでした。的が遠くて、とても中心を狙うなんてことはできませんでした。でも、私の射撃の結果をみて係員は驚いていました。初めてではないでしょう?だって・・・ エアーガンで練習していた成果かな。^^ フラダンスはショッピングセンターの前で客寄せのためでしょうか、無料で見ることができました。初めてのハワイ、最終日は観光で過ごし、帰国しました。他に記憶に残っているのは、クリスマスに行ったので、地元の家のイルミネーションが綺麗でした。 (カピオラニ公園) ![]() (ワイキキの朝) ![]() (ワイキキ) ![]() ![]() (フラダンス) ![]() 26 agosto ハワイ(2)危険な場所最初のハワイの時に、ガイドブックでは近づかない方がいいという地区にわざと行ったことを思い出しました。ゴルフ場に行ったときのリムジンの運転手に案内するように頼んで、しかも遊び方を知らないから教えてくれとまで頼んで行動に移したのです。夜になってリムジンの運転手が迎えに来てくれ、我々が目指す怪しいところに連れて行ってくれました。 着いたところは、いわゆる飲み屋街でしょうか、日本のヤクザみたいな男が入口に二人立っていました。私もそれを見て、これは相当やばそうだと思いました。もっとも入ろうとするお客さんに悪いことはしないでしょうから、今は安全です。果たして無事に出てこれるだろうかなんて考えていました。 店に入ると、そこはなんのことはない米国映画で見るようなポルノバーだったのです。運転手の説明で私たちは1ドル札を10枚くらい用意しました。私はもともと遠慮するようなタイプではありませんから、バーのカウンターのような席に着きました。そのカウンターの上でヌードダンサーが踊りを披露してくれるのです。 クリスマスということで、ダンサーたちが休暇を取っているかも知れないという危惧は無用のものでした。ダンサーたちは化粧と照明のせいもあるでしょうが、雑誌のグラビアから出てきたようなきれいな女性たちでした。彼女たちサービス精神旺盛でいろいろ演技を見せてくれました。もちろん一本のガーター以外には何も身につけてはいません。1ドルって120円くらいなものでしたから、チップのようなものに過ぎないのにたっぷり楽しませてくれました。ガーターはその1ドル紙幣をはさむためのものです。 店の中を観察すると、前に出てこないでシャイな感じで眺めている若い人たちがいます。どうやらこの青年たちは海兵隊のようです。こういう場所ではおとなしいものですね。その様子からむしろ好感を持ちました。運転手に注意されていたのですが、踊り子には触らないようにだって。でも、踊り子が触ってくるんですものこれはしょうがないですね。 1時間程度でしょうか、私たちはあっさり引き上げることにしました。代金はバドワイザーの料金だけです。1ドル紙幣のチップだって全部使い切った訳ではありません。どうやら長くいると妙なことがおきるようですが、私たちはさっさとその場を立ち去ったのでありました。もっと長くいたりすると、多分出番を終わったダンサーたちが飲み代やら、たかりに来るようです。こうなると相当の出費を強いられることでしょう。運転手は上手く私たちを導いてくれたものです。感謝。 (タンタラスの丘からの夜景) ![]() 25 agosto ハワイ(1)初めてのハワイ私がハワイにはじめて行ったのは、1990年のことでした。このハワイ旅行、実はゴルフを4日間やろうということで仲間と年末に行ったのでした。ところが、他の仲間は海外旅行がはじめてだったので、当初予定を放棄し、ゴルフは3日間で終わりにして、オアフ島の観光、ショッピングに計画変更してしまいました。彼らにははじめての海外旅行だったので、半分予想していたことでしたけどね。 日本人には憧れのハワイなのでしょうが、ハワイに行くのには時差がきついので、私はちょっと苦手です。なんといっても19時間の時差ですからそれはきついものです。1日遅れて、5時間進んでいると考えてもいいのですが、すぐに体を現地時間に合わせるのはとても難しいものです。 実際どうなるかと言うと、到着後、私たちはホテルのチェックインには早いので、あちこち観光案内されました。ホテルに着くと、8時間の飛行機の旅の疲れと睡眠不足のせいで直ぐに眠ってしまうのですが、数時間後、夜中に目が覚めてしまうということになります。3時頃みんなで起き出してきてアルコールを飲んだり、ゴソゴソやっていました。 したがって、初日のゴルフは睡眠不足のままです。その晩は、ゴルフの疲れでみんな早く寝てしまうので、再び深夜に起きてしまうという悪循環が続きました。夜、遊びに出るなどして無理やり起きていないとなかなか時差の調整ができないようです。 (ダイアモンドヘッド) ![]() (パンチボウル・・・国立太平洋戦没者慰霊墓園) ![]() ![]() (マカハバレーCC) ![]() ![]() 10 agosto バリ島(7)ブサキ寺院バリ島にはアグン山というそれほど高くはないけど山があります。そこにブサキ寺院があるというので行ってみることにしました。バリ島の宗教はヒンドゥと仏教の混ざったものと聞いていますが、このお寺はヒンドゥ教の騒々しい装飾がほとんどないですね。置いてある彫像はいかにもバリ島という感じですが、寺院そのものは落ち着いたものでした。 私たちは、今回紹介した以外にもいろいろ行動しましたが、写真がないので飛ばしてしまいました。例をあげれば、バリ島の観光地から離れたところに行くと、段々畑があったり、観光による開発の影響を受けていない純朴な子供たちがいたりとかです。子供たちが私たちを見ると嬉しそうに手を振ったり笑顔を見せてくれるのですが、カメラを向けると恥ずかしいようで逃げてしまいました。 ということでバリ島旅行の思い出はこれでおしまいです。 ![]() ![]() ![]() 09 agosto バリ島(6)豪華ホテル開発前にも書きましたが、この頃ヌサドゥア・ビーチ地区では国家プロジェクトとして大規模リゾート開発が進んでいる最中でした。一部のホテルが営業を開始していましたが、まだ建設が始まったばかりという感じでした。そこで私たちはオープンしている5星ホテルを見て回ることにしました。また、来るかも知れないし・・・ということで。 インドネシアのホテルを見て感じたことですが、豪華さというのは高層ビルではなくて、平面的な広さだということを実感しました。バリ島のホテルはせいぜい3階建で、ものすごい広さを持っているのです。パリでアメリカン・タイプの高層ビルのホテルがちょっとバカにされていましたが、バリ島でも同じような印象を持ちました。ある種のカルチャー・ショックだったかも知れません。 当時バリ島で有名だったのは、クタ・ビーチです。ヒッピーが多いということでも有名でしたが、今はどうなっているのでしょうか。オーストラリアからの観光客が多く、彼らがオージーと呼ばれていることをこの時に知りました。私はクタ・ビーチでサングラスを海に落としてしまいました。波にさらわてしまったのでしょう、回収することはできませんでした。とほほ そして、さらに大きな失敗ですが、あんまり暑かったのでビーチにアイスクリーム売りが来たのでつい買って食べてしまったのです。帰国するまで下痢が続いたことには参りました。成田でいろいろ検査されるし、やれやれ、とんだお土産をもらってしまいました。 プトリ・バリ・ホテル ![]() ヌサドゥア・ビーチ・ホテル ![]() 08 agosto バリ島(5)アウトリガーバリ島と言えば、私はアウトリガーを連想するくらいです。私たちはバリ本島から海亀がいるという亀の島に行くことにしました。このときに最初の写真でみられるアウトリガーに乗せてもらいました。 走行エネルギーは自然の風を利用しますから、ヨットと同じ原理ですね。船を安定させるためにアウトリガーと呼ばれる浮木をつけています。バリ島の海はとても静かでした。珊瑚礁の上を音もなく進むアウトリガーで南の島の自然を満喫しました。 バリ島の海はとてもきれいに澄んでいますが、グアムやサイパンで見かけたナマコ類は見かけませんでした。珊瑚が海水を浄化しているのでしょう。ともあれ、黒いナマコがいないことは嬉しいことでした。 私たちは海亀の飼われてる場所に行き、子供たちが海亀に乗ったりしているところを写真に撮ったりしました。その後、時間が余ったので、無人島に行きたいと言うと、あっさりとOKされました。なんだか南の島の無人島って憧れますよね。 着いたところは小さな島なので誰も住んでいる気配はありませんでした。乗って来たアウトリガーはどこかに休憩しに行ったようです。私たち家族だけで無人島でのんびりと過ごしました。なんだか別世界のようです。 最後の写真は、その無人島で家族だけで遊んでいるときに現地の子供たちが小さなアウトリガーでやって来たところです。こんな小さな頃からアウトリガーを操作して遊んでいるのですからすごいものですね。 写真は、亀の島、無人島に行ったときのものです。 ![]() ![]() ![]() 07 agosto バリ島(4)お葬式バリ島ではどういう訳か、誰かが亡くなっても直ぐにお葬式をしないで、夏まで待つのだそうです。赤道付近ですから夏というのは季節の意味ではなくて宗教上の理由からだと思います。 ですから、お葬式の行列もそれほど悲しいという雰囲気は感じられません。楽しそうなんて言えませんが、あまり暗い雰囲気はありませんね。だからカメラを向けることができたのでしょう。 インドネシアの女性たちは頭に物を乗せて運ぶのが得意なようです。お葬式とは別に写真をアップしましたが、相当な重さまで運べそうですね。 お葬式の行列 ![]() ![]() バリ島の女性たち ![]() 06 agosto バリ島(3)ダンスショーバリ島で驚いたものは、ダンスショーの多さでした。ケチャック・ダンス、レゴン・ダンス、バロン・ダンスといろいろな種類がありました。 ケチャック・ダンスは殊に有名なようで、男性の「チャチャチャチャ」というリズミカルな歌唱が特徴的です。写真で見られるように50人くらいの大合唱ですが、これだけ大勢なのにリズムのキレがいいのは驚きです。洞窟みたいな場所でしたから、音響効果もよく迫力のあるものでした。 ダンスはどれも昔からの神話のようなものを題材にしているようで、見ているだけでは詳細は分かりませんが、善悪の闘いのような筋書きだと思いました。彫像で見た奇妙な造形が再び仮面となって現れ、音楽に合わせて踊られます。 バロン・ダンスは日本の獅子舞によく似ていて、その共通性に驚きました。オリジナルがどこから出たのかは知りませんが、日本、中国、インドネシアと共通の文化を持っているようです。 音楽には様々な楽器が使われていて、循環するリズムの中で独特の響きを聴かせてくれました。何拍子で演奏しているのかも分からない不思議な演奏スタイルです。 ケチャック・ダンス ![]() ![]() レゴン・ダンス ![]() ![]() バロン・ダンス ![]() ![]() バロンダンスの楽器演奏 ![]() 05 agosto バリ島(2)ホテルと朝市バリ島観光は私たち家族4人の貸切ツアーとなりました。幸いにも現地ガイドのナガさんがずっと案内についていてくれました。宿泊したホテルは当時の5星ホテルでした。このとき国家プロジェクトとして大規模リゾート開発が始まったところですから、ヌサドア・ビーチ方面の豪華ホテル群は建築中でした。 貸切ツアーというのはなかなかいいものです。大勢のグループだとスケジュールどおりに行動しないといけませんが、貸切だと自由度がグンと上がります。バリ島旅行ではツアーの良さを知ることができました。 インドネシア語で分かるメニューは、ナシ・ゴレン(焼き飯)とミー・ゴレン(焼きソバ)程度でした。カエルの唐揚げを初めて見たときには驚きましたが、食べてみると鶏とそれほど変わらない味でした。今でも好んで食べたいとは思いませんけどね。 飛行機での長旅の疲れを癒し、翌朝には朝市を見に行きました。この時にはまだ知らない奇妙な果物がいっぱいありました。 宿泊したホテル ![]() ホテルの前の海岸 ![]() 朝市 ![]() 04 agosto バリ島(1)モスラ家族旅行の2回目はインドネシアのバリ島に行きました。20年くらい前の話です。私としては初めての東南アジアへの旅行です。飛行機はジャカルタ経由だったので結構時間が掛かりました。ジャカルタまで8時間、そしてバリ島まで移動します。 飛行場に着くと早速奇妙な香りが私たちを迎えてくれました。これが熱帯の国の香りかなと思っていましたが、どうやらインドネシアの煙草に入っているクローブ(丁子)の香りのようでした。この旅行から何年もしてから、私がたまたま同じ煙草を手に入れて吸っていると、家族が「バリ島の匂いがする」と言ったものです。 バリ島の特徴はなんと言っても、仏教と土着の宗教とが融合して作り上げられた奇妙な彫像にあるでしょうか。怖いというか滑稽な姿の彫像を多く目にします。 バリ島に着いてもう一つ感じたことですが、古い話で恐縮ですけれども、東宝の映画「モスラ」を思い出していたんです。ザ・ピーナッツが出演していたあの怪獣映画なのですが、最初の現地ロケがこういうバリ島のようなところだったんじゃないかと感じていたのです。後で分かったことですが、「モスラ~や、モスラ~」という歌はインドネシア語だったようです。 ジャカルタ空港 ![]() 彫像と奇妙な門 ![]() 彫像アップ ![]() |
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