Profilo di atsushiえるだま・・・世界の国から(MSN版)BlogElenchi Strumenti Guida

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24 agosto

マレイシアの思い出(14)コタキナバル

ご存知のようにマレイシアはタイの南側にあります。なのにタイと日本との時差が2時間あるにもかかわらず、マレイシアと日本との時差は1時間です。これは、マレイシアがボルネオ島にある東マレイシアと半島部分との時間を同じに設定していることに起因しています。

私のマレイシア在任中には東マレイシアに行く機会がなかったので、帰国の際に帰路変更をして東マレイシアに寄ってみました。マレイシアで半年を過ごした次男坊と一緒に帰国の旅でした。コタキナバルには2泊して、その後、フィリッピンで日本から来る長男と合流し、マニラ周辺を観光して帰国するというものでした。

寄った先はサバ州のコタキナバルという町です。コタキナバルにはキナバル山という標高4,095m、東南アジアの最高峰があります。東マレイシアには、サラワク州という州もあり、州都はクチンという町です。石油王国で有名なブルネイはサバ州とサラワク州の間にあります。

(コタキナバル市街地)


(キナバル山)


(マリンリゾート)
23 agosto

マレイシアの思い出(13)クアラルンプール

マレイシアの首都クアラルンプールは、人口200万人程度の都市です。バンコクやテヘランに比べると小さな首都ですが、それでも大都会という雰囲気はあります。私はクアラルンプールに2年間住んでいたので、あちこち写真がありそうなものですが、日本からのお客さんの写真ばかりを撮っていたようであまり紹介できる写真がありません。(苦笑)

クアラルンプールの市内観光の定番というと、ナショナル・モニュメント、チャイナタウン、植物園、バタフライパーク、バードパーク、ブルーモスクと言ったところでしょうか。ツインビル、KLタワーも人気です。他には、鉄道の中央駅や美術館などかなぁ。

(クアラルンプールの景色)

(ナショナル・モニュメント・・・独立記念だと思います。)

(美術館)

(バードパーク)

(ブルーモスク)

22 agosto

マレイシアの思い出(12)ゴムの木

「ゴムの木」というと観葉植物の「インドゴムの木」(クワ科)を思い浮かべる方が多いと思います。もちろん、こちらの木からもゴムは採取できますが、品質が悪く、分泌液も少ないので、現在ではゴム採取の用途では栽培されていないようです。18世紀ころまでインドで多く栽培されたことから「インドゴムの木」と呼ばれます。

マレイシアにはゴムの木のプランテーションがたくさんありますが、これらは「パラゴムノキ」(トウダイグサ科)という種類です。ブラジルが原産ですが、現在ではゴムを採取するために東南アジア、南太平洋地域で造林されています。

因みに、ゴムに似たものとしてチューインガムの原料となる「チクル」がありますが、これはアカテツ科のサポジラという樹木の樹液から作られます。最近、電気通信で話題の「ガタパーチャ」もゴムの一種ですが、こちらはアカテツ科の高木から採取されます。水中ではほとんど変質しない「ガタパーチャ」のゴムは、熱すると軟らかくなるため加工も容易で、海底ケーブルの被覆材としてうってつけな素材です。


(参考)インドゴムの木
21 agosto

マレイシアの思い出(11)タイプーサム

ヒンドゥー教最大のお祭りのタイプーサムは、ヒンドゥー暦の10月の満月のときに行われるといいます。ヒンドゥー暦についてよく知らないので、太陽暦でいつなのか厳密に言えないのが残念です。私の行ったときは1月の終わり頃だったと思います。

祭りの舞台は、バトゥ・ケーブというところで、クアラルンプールから車で30分くらい北に走ったところにあります。大きな洞窟なので普段でも観光地ですが、タイプーサム以外では、訪問客はまばらという感じです。

インド系マレイシア人はマレイシアの人口の中で10%にも達しない程度ですが、このお祭りのときには全国からインド系マレイシア人が集まって来ます。タイプーサムは、体に針を刺したりと、少し残酷なお祭りとして有名ですが、実際はそれほどでもありません。

少し痛々しい苦行をする人はトランス状態にあるのですが、何によってそうなっているのかまでは分かりませんでした。お祭り特有の興奮と異常な集中力のせいかも知れません。

(まるで山車みたいです。)

(右の人はトランス状態、左の人は右の人の興奮を煽っているようです。)



(参考)平常時のバトゥ・ケーブ

20 agosto

マレイシアの思い出(10)ディパバリ

マレイシア滞在中、リムジンの運転手をやっていたインド系マレイシア人のセルバム氏とは親しくお付き合いをしていました。たまにリムジンを使うことはありましたが、それ以外の時間は友人として接していました。真っ黒な肌と巻き舌の強いインド訛の英語には、当初は驚きましたが、次第に慣れていきました。

訛と言えば、マレイシアもシンガポールと同じように中国語訛の英語というのがあって、こちらの英語にはまったく馴染めませんでした。中国系マレイシア人の知り合いもありましたが、彼の英語の発音はきれいなものでしたけどね。問題は、職場の局長の中国語訛の英語がさっぱり聞き取れなかったことです。彼は、私が英語を話せないと思っていたようでした。(苦笑)

セルバム氏は、13人兄弟の11番目だったように記憶しています。当時はまだ独身で両親と一緒に住んでいました。彼からヒンドゥー教についていろいろと説明をしてもらえたことが嬉しかったです。ヒンドゥー教には大きなお祭りがあって、一番大きなものは「タイプーサム」と言いますが、その話題は次回ということにいたしましょう。

今回は、「ディパバリ」というヒンドゥー教のお祭りの話題です。これは、「光の祭り」とも言われます。ヒンドゥー教の神話には、多くの話が伝えれていますが、これは悪に対する善、暗闇に対する明かり勝利を祝うものです。祭りの前夜には新しい服を着て、ろうそくやランプをたくさん用意します。そして神を歓迎するため、家の窓やドアを開け、家の中を色々なオイルランプやそうそくで明るく飾ります。写真は家の中に用意された飾りです。色のついた砂を使って上手に仕上げられています。

招待された私と次男は、彼の家でご馳走になりました。インド系マレイシア人、ヒンドゥー教徒には禁酒の戒律はないので一緒に楽しめます。^^

私と次男がマレイシアを発つ前日、セルバム氏は私たちを招待して送別会をやってくれました。外国人が彼のようなリムジン運転手を友人として付き合ってくれたことはないといい、大変感激していました。私は、仕事の関係を離れたら人間同士の付き合いだと思うのですけどねぇ。

遅くまで飲んで過ごした翌朝、私たちが飛行場に向かうためにホテルのロビーに降りていくと、そこにはセルバム氏が待っていました。彼が飛行場に見送りに来てくれるのかと思ったら、彼は別れを悲しんで一晩中泣いて過ごしたので運転はできないと言いました。インド系の人は、日本人のように感情を抑えるということはしないようで、むしろそういう感情を味わっているように思えました。
19 agosto

マレイシアの思い出(9)ペナン島

ペナン島はマレイシアの代表的なリゾート地です。日本からのツアーの目的地に入っていることが多いと思います。新規に開発されたランカウイとは違って、歴史を感じさせる古い町並みがあります。

私が最初にペナン島に行ったのは、家族旅行でした。1987年頃のことだったと思います。その後マレイシアで仕事をすることになったので、1994~96年に滞在しています。今回の写真は、後の方のものです。

外国人は、ペナン島には飛行機で行くのが普通ですが、半島から大きな橋が架けられていて自動車で渡ることも可能です。私は、自家用車でペナンに行ったこともありますが、クアラルンプールからはかなり距離があるので、運転を交替できる人がほしいところです。

ペナンでは、最初の旅行の際に知り合いになった中国系マレイシア人のワンさんがいるので、その後の訪問では再会が楽しみでした。ワンさんは、船を持っていて観光客を沖合いの綺麗な海に案内する仕事をしています。今でも営業していることと思います。

ペナンは小さな島ですから、2泊3日でも十分観光できるでしょう。綺麗な海で遊ぶためには船をチャーターして2時間くらいは沖合いに出ることが必要になります。オプショナル・ツアーがいろいろ準備されているでしょうから、ホテルからの予約で簡単に行けるでしょう。

シンガポール、パンコー島、ペナン島、ランカウイ島、プーケット島(タイ)の順で北上しますが、北の方に行けば行くほど海がきれいになります。マレイシアの半島部分の表土が粘土質で海に流れ出すので海水が汚れてしまうのがその原因でしょう。

(ペナンのマリンスポーツ)


(ワンさんの船で)


(仏教寺院)
18 agosto

マレイシアの思い出(8)ジョホール

ジョホール州は、マレイシアの最南端の州です。ですから、シンガポールは目と鼻の先、対岸を見ればシンガポールが見えます。橋があるので、入国審査をすれば簡単に行けてしまいます。

ご存知のようにシンガポールはマレイシアから分離独立した国です。中国人が多いので、中国人の国のように見えますが、マレー人もインド人も住んでいます。シンガポールは水の供給をマレイシアに依存しているので、その値段の取り決めは二国間の大きな国際交渉になっています。

シンガポールに比べてマレイシアの物価は安いので、たくさんのものがシンガポールに運ばれています。そして、ハイテク機器などはシンガポールからマレイシアに入って来ます。

税関、入国・出国審査のところを撮影してしまいましたが、こういうところはもちろん撮影禁止です。注意を受けましたが、のんびりした熱帯の国のこと、それだけでお仕舞いでした。パキスタンみたいにフィルムを抜き取るというところまではやられませんでした。

(政府の建物)

(シンガポール側)

(税関)
17 agosto

マレイシアの思い出(7)ランカウイ島

私がマレイシアにいたのは10年以上も前のことですが、そのときにマハティール首相の肝いりでランカウイ島の観光地開発がなされたのでした。それでも、既に一流ホテルであるシェラトン・ホテルやダタイ・ホテルはオープンしていました。

私は出張だったので、マレー人が利用するような普通のホテルに仲間と宿泊しました。それでも、私は一日早く日曜日にランカウイ入りしたので、その日には少し観光ができました。空港で、ベンツのレンタカーを借りて島内観光をやったのです。

ランカウイは群島なので、メインの島以外にも大小さまざまな島が散在しています。今回はメインの島だけの紹介です。

一番最初の写真は、マッスリの墓です。島の伝説を基づいて作られた観光地です。観光開発のために無理やり島の伝承から作ったような気がして、私はちょっと感心しませんでしたが、軽視したためかマッスリの呪いを受けて、高熱の風邪を引いてしまいました。触らぬ神に祟りなしということで、きちんとお参りすればよかったようです。(苦笑)

二番目の写真は、黒砂のビーチです。砂鉄が多いのでしょう、本当に砂浜が黒い色をしていました。

三番目の写真は、ランカウイ一番の高級ホテル、ダタイ・ホテルです。日本からのハネムーナーを見かけました。島の一番奥の方にあるので、孤立していて周囲には何にもありませんでした。のんびり過ごすのにはいいかも知れませんが、ちょっと料金が心配です。

四番目は、レンタカーのベンツです。生まれて初めてベンツを運転しました。島内を回るにはレンタカーが便利です。バティック工場なども見たと思いますが、記憶が蒸発してしまったようです。(汗)

最後の写真は、職場の仲間とタイ料理を楽しんでいるところです。マレイシアはイスラム教の国ですから、タイ料理と言ってもムスリムに問題のないようにと、豚肉料理などはありません。アルコール飲料はあったかなぁ・・・ 私は缶ビールを飲んでいるようにも見えますけど・・・ 忘れてしまいました。
16 agosto

マレイシアの思い出(6)キャメンロンハイランド

マレイシアにある高地の第二弾です。キャメロンハイランドは、松本清張の小説 『熱い絹』で日本人によく知られていることと思います。タイのシルク王ジム・トムプソンの謎の失踪事件を描いた作品です。

マレイシアは英国の植民地でしたが、インド人は紅茶の栽培のために連れてこられました。キャメンロンハイランドは、今でも紅茶の栽培が続いていて、インド系マレイシア人が住んでいます。高原と茶畑がキャメロンハイランドの特徴と言えるでしょう。

最後の写真は、長期滞在者用のホテルです。私たちは1泊しかしませんでしたが、1週間くらいのんびり過ごすのもいいものだと思います。


15 agosto

マレイシアの思い出(5)マングローブ

私がマングローブを観察できたのは、パンコー島に出張したときのことでした。パンコー島は、クアラルンプールの北150km程度のところにあるイポーという町を抜けて西に向かったところにあります。パンコー島に向かうための港の手前にマングローブを観察するための見学コースがありました。

パンコー島での仕事を終えて、私はマングローブ林の見学コースに向かいました。そこでマングローブというのは木の名前ではないことを初めて知りました。マングローブというのは植物群落の名称で10種類以上の樹種で構成されています。海に近いとこに存在するところから、いろいろな生物の隠れ家になりやすく、高度に発達した生態系を維持しているといいます。エビやカニなどには絶好の棲家になっているということが理解できます。

マングローブ林は海の水際に発達しているため、自然林の場合、足を踏み入れることは難しいものです。そのためこのマングローブ林を観察できる場所には人工的に橋が掛けられていました。2-3kmに渡って用意されているためマングローブ林の観察には絶好の施設といえるでしょう。

マングローブをみていると、川で魚を獲っているマレー人に気がつきました。見事に網を広げるものです。どんな収穫があるのかまでは分かりませんでしたが、小魚や川海老などでしょうか。




14 agosto

マレイシアの思い出(4)フレーザーヒル

マレイシアはイギリスの植民地だったのですが、当時の英国人は暑い気候に耐えられず、ハイランドでの避暑を求めたといいます。従ってクアラルンプールの近くにあるハイランドはどこも避暑地として頂上付近が開発されていました。クアラルンプールから近いところではゲンティン・ハイランド、そしてマックスウェル・ヒルという場所もあります。有名なキャメロン・ハイランドにも別荘地がありますが、ここはかなり遠くにあります。

今回のお話はフレーザーヒルです。フレーザーヒルに入ると、曲がりくねった道路が続いています。英国人が土木作業をする訳ではないので現地人がやったはずです。当時ではロクな機械もなかったはずですからさぞかし大変であっただろうと思われます。

フレーザーヒルまでの距離はクアラルンプールから150km程度しかないと思われますが、急カーブが多い山道であり、その上、道が悪いところが多くあります。さらに途中のある区間では道路幅が狭いために交互一方通行という通行制限もあり、結局数時間を要して目的地に着きました。

頂上に着く頃には高度のせいで気温が下がり、高温多湿の熱帯雨林気候から開放されました。頂上はかなり広く、まさに高原です。道路沿いにはいくつもの英国風の別荘が立ち並んでいました。目指すメリディアン・ホテルに着くと、チェックインの後、少しの休息をとることにしました。

フレーザー・ヒルには花畑、別荘の他には見るところはあまりありません。自然の植生に興味があればかなり楽しめるでしょうが、急峻な九十九折れを苦労して登って来た割には見返りが少ないという人がいるかも知れません。こういうところでは、高地の空気の清々しさを味わえればいいと思えればいいのですけどね。

着いたその日は、車で高原の別荘地やお花畑を見たりして過ごしました。メリディアン・ホテルは、名前は有名ですが、フレーザーヒルにあるものは三流ホテルのようなものでした。日が暮れると、行くところもなくなり、ホテルのレストランで限られたメニューの夕食をとりました。しかし、その後は寝るまでおしゃべりでもしているしかありませんでした。

翌日は自然遊歩道を行くことにしました。高原とは言え、歩くと汗ばんで来ます。細い遊歩道から広い道路に出ると、女子高校生の一団が騒いでいるのが見えました。水色の制服に肩を完全に覆うくらいの白い大きなトドンを被っています。髪を隠す目的のトドンというのは大きいほど信仰深く、清純に見えるものようです。

女子高校生が騒いでいたのは、野生の猿のせいでした。野生の猿が木の実を食べながら、その殻を彼女たちに向けて投げているのです。因みに、オランウータンというのはマレイシア語(インドネシア語も同じ)で「森の人」という意味です。外国人のことは「オランアシン」と言い、「知らない人」という意味です。ともあれ、ここにいる猿はオランウータンではありませんでしたけどね。

最後の写真は、乗馬をするえるだまです。^^
13 agosto

マレイシアの思い出(3)マラッカ

マレイシア観光で有名な場所は、首都のクアラルンプール以外ではペナン島、ランカウイ島とマラッカということになるでしょうか。ということで、私は日本からのお客さんが来ると、何回かマラッカを案内しに行ったことがあります。

マラッカと言えば、マラッカ海峡が有名ですね。世界地図で見ると対岸のインドネシアが見えそうなくらい細い海峡ですが、私が対岸を見たことはありません。世界地図の縮尺では狭く思えても、見えないのが当たり前かも知れません。

マラッカまでクアラルンプールからは2時間半くらいかかるので、自分の車を運転して日帰りするのはちょっと辛いものがあります。マラッカには見るところが多いし、シーフードのランチも楽しみですから。そこで、案内する人数が多いときは、ホテルのリムジン・サービスでワンボックスカーを使いました。

マレイシアの各州にはそれぞれスルタンがいて、国の王様は順番でやっているそうです。マラッカ州にもスルタンがおりますので、スルタンが昔使っていた家が博物館として公開されています。そしてその近くには昔の砦があります。マラッカにはポルトガル人がいたそうで、ポルトガル人の末裔たちもいました。

砦の近くの丘に登ると、そこには古い教会があります。フランシスコ・ザビエルのお墓というのがあり、日本との関係を偲ばせてくれます。

マラッカの市街地にも派手な赤い色の教会があります。こちらはマラッカのシンボルのようで絵葉書によく使われています。

マラッカには仏教寺院もありました。イスラム教の国とうイメージのマレイシアですが、中国人、インド人も住んでいるという複合民族国家ですから、仏教寺院があっても不思議ではありません。そうは言っても、仏教寺院を見るとほっとする自分に気がつき、日本人であることを再認識させられました。

マラッカ市内での移動方法は、普通はベーチャという自転車の乗り物を使います。人力ですから、地球に優しい乗り物を言えるでしょう。そして、自転車をこいでいる人の足は競輪選手のような逞しいものです。

牛車もありますが、こちらは大勢の観光客の利用するものでしょうか、私は利用したことがありません。のんびり市内観光するのにはいいかも知れません。

写真にはありませんが、マラッカにはシーフードレストランがずらりと並んだ一角があって、そこで食べるエビ、カニ、貝などはとても美味しいものでした。もちろんアルコール類もいただけます。イスラム教徒のマレー系マレイシア人ではなく、中国系マレイシア人の経営なのでしょう。
12 agosto

マレイシアの思い出(2)結婚式

今回は、マレイシアの結婚式の話題です。職場の仲間シャフィーの結婚式に招待されたときの様子です。

マレイシアの結婚式披露宴には、誰でも喜んで迎えられるとのことで、要するに誰でもタダ飯にありつくことができるのだそうです。もっとも、浮浪者みたいなのが結婚式披露宴に紛れ込むっていうことは、実際にはほとんどなさそうなことだとは思いますけどね。

結婚式はシャフィーの実家で行われるとのことでした。花嫁の実家でも行われるというのですから、同じようなことが2回実施される訳です。シャフィーの実家に近づくと駐車場の整理のための人がいましたが、駐車場と言っても特別なものではなく、路上駐車の場所を案内しているだけでした。車を止めた場所からシャフィーの実家までは5分程度歩かなければなりませんでした。

結婚式披露宴会場に着くと、それはそれは賑やかでした。集まった人々も喧騒もすごいのですが、それに輪をかけてマレイシアのリズミカルな音楽が大きなスピーカーから流されていました。どうやら、こういうお祝い専門の業者が存在するようです。

私は職場の仲間を見つけて挨拶をすると、シャフィーの実家の母屋に入って行きました。母屋では花嫁が化粧を終え、披露宴用の衣装を身に着け終わっていました。花嫁は同じ職場で働いていたのですが、あまり会うことがありませんでした。それでも一生懸命思い出してみれば、花嫁がシャフィーのところに何回か来ていた女性だということに気がつきました。

私は、綺麗な屏風のあるところで新婦と一緒に写真を撮ったりしました。そうしているうちに、私は何かが始まる気配を感じました。すると、新婦は突然消えてしまい、しかも肝心の新郎シャフィーはこの時まで姿を見ることがありませんでした。

いままでやかましくリズミカルな音楽を鳴らしていたスピーカーの調子が変わりました。いよいよ新郎・新婦の登場のようです。庭のどこかで新郎新婦の入場が始まりました。新郎・新婦とも紫に銀色のキラキラした装飾が施された衣装を着て、手を取り合っていました。

私たちが外で待っている間、母屋ではいくつかのセレモニーが行われたようです。やがて新郎・新婦は屋外に設置されている食事用のテーブルにやって来ました。そのテーブルには職場の仲間たちが集まっていました。私には新郎・新婦の隣の席が用意されました。

着席しても写真撮影のためのポースなどまだまだ騒ぎが続いています。それがようやく終わるといよいよ食事が始まりました。私は嬉しくなって、マレー料理の本来の食べ方である素手で指を使った食べ方に挑戦してみる気になりました。実は、これが初めての経験です。

私は指使いを職場の仲間に教えてもらいながら、ぎごちなく食事を味わいました。私の素手での食事はマレー人たちの関心を引いたようです。食事の後も、新郎新婦は職場の仲間と一緒に記念撮影を行うなど、お祝い気分が長く続きました。
11 agosto

マレイシアの思い出(1)蛍

クアラ・クワンタン、クアラ・ルンプールから2時間ほど北上したところに、蛍を観察できる場所があります。私がマレイシアで働いていた頃、職場に日本からのお客さんがあって、どういう訳か蛍の話になり、それでは実際に見に行こうということになったのです。

クアラ・クワンタンへは、仕事が終わってそのまま向かえばちょうどいい時間です。この時は、6月に入っていましたから、真っ暗になるにはまだ十分時間がありました。私は、途中のクアラ・スランゴールで夕食をすれば蛍観察に丁度いい時間になるという計算をしました。

クアラ・クワンタンは本当に田舎なので、そこで気の利いたレストランを期待することはできません。イスラム教の国ですから、ビールなしでマレー料理を食べるしかありません。こういうところのレストランというのは味はともかく、決まってプラスティックの器が出されるものです。

目的地に着いた時にはもうすっかり暗くなっていました。駐車場からボート乗り場までちょっと距離があります。夜空を見上げると満天の星が輝いていました。私はお客さんと同行のマレイシア人に、夏の夜を飾る白鳥座、琴座、大鷲座を説明したり、ほとんど真上に見えるさそり座を紹介しました。

ボート乗り場に行くと、写真撮影禁止などの注意書きがこれ見よがしに掲示されていました。蛍なんて写真を撮っても美しく撮ることは至難の業だと思われるのですが、まさかフラッシュをがんがん焚いて撮影する人がいるのでしょうか。

ボート乗り場は暗いので、行き先はまったく見えませんが、ボートに乗るときに川の水の色は見えました。それはお世辞にも綺麗とは言えない黄土色ですけど、それは粘土質の表土が溶け込んだもので人工的な汚染によるものではありません。

ボートには4人乗りでエンジンはありません。蛍の保護のためでしょう。船頭が長い櫂を使ってボートを操ります。浅瀬では川底を突付き、深くなると日本の舟のように櫂を扱っています。ボートは音も立てずに上流に向かいました。

周囲はマングローブ林のようです。星空以外は真っ暗なのでよく見えません。人家の明かりすらありません。やがて目が闇に慣れてくると、不思議な光景が目に入って来ました。マングローブ林の中でボヤーっと光っている木が見えて来たのです。

接近するとそれは電飾されたクリスマス・ツリーのようにも見えました。船頭がマレイシア語で解説をしてくれました。同行のマレイシア人によると、蛍は特定の木だけにつくということでした。船頭はいくつかあるうちの一つのクリスマス・ツリーに接近しました。ほとんどボート全体が木の枝の下に入ってしまうほど接近してくれたのです。

そこに見えたのはまるで宇宙です。点滅の周期が早く、動きも機敏なマレイシア蛍が頭上に無数に見えるのです。星が星を追いかけているようにも見えます。私がそっと手を差し出すと、そこに小さくてまったく質量を感じさせない蛍がとまりました。

体の大きさは2mmくらいです。とにかく小さく、そしてその体に似合わずとても明るいのです。まるで手の平全体を照らしているようにも思えるくらいの明るさをもっていました。光は少し黄緑色をしているように感じられました。一緒にいたお客さんやマレイシア人の歓声、そして溜め息が漏れて来ました。

ボートはさらにいくつかの木に突っ込み、蛍の美しさを堪能させてくれました。ここを見るためだけにマレイシアを訪問しても十分価値があると思います。お客さんは、大変感動したようで、何度もお礼を言ってくれました。
12 maggio

タイの子供たち

タイの子供たちのむじゃきな表情をどうぞ。^^

(海の大嫌いな男の子、海に行かなければ上機嫌。^^)

(スイミング・ウェアーに着替え中・・・羞恥心ってあるみたいね。^^)
11 maggio

タイ料理アット・ランダム

タイ料理については、これまでにも紹介していますが、先日バンコクに滞在したときの料理をご紹介しておきますね。

【パタヤ海岸にて】

(スズキの蒸したもの)

(ソムタム・・・青いパパイヤの漬物)

(玉子と海老とライス・・・朝食用かな)

(活きた海老・・・その場で茹でて食べるようです。)

(トロピカル・フルーツ)


【バンコクにて】

(ヤムウンセン)

(コイシーミー・豚肉)
10 maggio

バンセーンのシーフード市場(タイ)

先日パタヤに遊びに行った帰りに寄ったバンセーンのシーフード・マーケットです。シーフード・マーケットと言っても鮮魚ではありません。イカや魚などの乾物のようなものがメインです。私は荷物がいっぱいなので、イカの甘辛味を1kg買っただけでしたが、同行のタイ人たちは家族にでしょうたくさんのお土産を買っていました。

 



 

 

 
09 maggio

パタヤ海岸・・・続編

私は普通パタヤに行くと、ラン島までボートで行ってしまうのですが、この日は早く帰らないといけないという人があったので、珍しくパタヤで遊ぶことにしました。そもそも目的地がパタヤでなく、もっと近いバンセーンだったというのは、昼食を食べるのが目的でした。

そうは言っても子供連れです。着くと、まず彼らは食事を始めました。どうやら朝食抜きで来ていたようです。私は二日酔いなので、まったく食欲はありませんでしたから、のんびり食事をするつもりでいました。ですから、迎え酒のようにしてビールばかり飲んでいました。

 



タイ人たちは一通り食事を楽しむと、まずは子供たちが海に遊びに行きました。パタヤの海はそれほど海水がきれいではありませんが、波がないので海水浴には絶好のようです。浮き袋を借りて、子供たちだけで遊んでいました。

やがて大人の女性たちがバナナボートで遊ぶと言い出しました。子供は牽引するモーターボートに乗せてもらいます。私は海水浴をする気がそもそもなかったので、陸から眺めていました。最初は遠いところでやっていたので写真撮影もしなかったのですが、やがて私のいる方に接近して来ました。そこで写真を撮ったのですが、バナナボートというのは転覆して遊ぶもののようですね。(笑)

 

 

最後の写真は、実は女性に抱かれている男の子、海で遊ぶのをもの凄く嫌っていたのです。実際、泣き叫んで抵抗していました。無理やり連れて行かれて、泣きべそをかいているのですが、タイ女性が携帯電話のカメラで写真を撮ろうとすると、泣き止んで笑顔でポーズを作るというのですから、早くもタイ人らしさが現れていました。^^

 
08 maggio

パタヤ海岸で日光浴

バンコクで4泊という意図しない滞在ですが、第二の故郷のようなタイ国のこと、時間を過ごすのには苦労しません。知り合いのタイ人たち11名を引き連れて、パタヤ海岸に出かけました。本当は、パタヤではなくて手前のバンセーンというところに行く予定だったのですが、運転手が道を間違えてパタヤに着いてしまいました。(笑)

どうせ時間潰しですから、目的地が多少違っても文句など言うはずがありません。バンセーンの方がシーフードが美味しいという話で出掛ける気になったんですけどねぇ・・・ ま、いっか、というやつで済ませました。(苦笑)

(パタヤ海岸)


(タイ人たち)


(私も・・・エヘヘ)

タイ人女性は、日に焼けることを嫌います。写真を撮るときのポーズだけです。(笑)
07 maggio

バンコク到着

イランでの仕事を終えて、いよいよ帰国です。いつものようにバンコク経由で帰国しました。バンコクの様子を紹介しておきましょう。

(BTSアソーク駅方面)

(ウエスティン・ホテル方面)

(スクンヴィットから北側を見る)

(タイ・スマイル)